Super源さんの音楽ブログ

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「若草の髪かざり/チェリッシュ」- オリコン7位を記録したヒット曲!

今日は、チェリッシュの「若草の髪かざり」のご紹介です。



チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。
メンバーは、松崎好孝(まつざき よしたか)と松崎悦子(まつざき えつこ、 旧姓:松井)。

チェリッシュは、1971年、第一回全国フォーク音楽祭全国大会に出場していたところをスカウトされて、翌年の1971年に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューをします。
 

「なのにあなたは京都へゆくの/チェリッシュ」- 「てんとう虫のサンバ」で知られるチェリッシュの、35万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、チェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。チェリッシュは、1


その後、「だからわたしは北国へ」「ひまわりの小径」「古いお寺にただひとり」「若草の髪かざり」「避暑地の」と次々にヒットを飛ばしていきます。 

2年後の1973年7月5日には、7枚目のシングルとなる「てんとう虫のサンバ」を発売。
この曲は、彼らの代表曲となり、今でも結婚式などで歌われる息の長い曲となっているのは周知の通りです。

チェリッシュは、子供から大人まで、誰にでも親しめるメロディーと、その歌唱力が魅力の夫婦デュオで、現在でも活躍しています。

今日は、その多くのヒット曲の中から、1973年1月15日に発売された通算5枚目のシングルである、「若草の髪かざり」をどうぞ。
 
若草の髪かざり/チェリッシュ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、作詞:阿久悠、作曲:馬飼野俊一によるもので、オリコンチャート最高位は7位、累計売上は35万枚を記録しました。

「どうぞこのまま/丸山圭子」 - 歌詞は実話!この曲の誕生の裏には許されない恋があった!

今日は、丸山 圭子の「どうぞこのまま」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

丸山 圭子(まるやま けいこ、1954年5月10日 -) は、埼玉県浦和市岸町(現:さいたま市南区)出身のシンガーソングライター、作曲家、洗足学園音楽大学客員教授です。

丸山 圭子は、1972年7月に、ニッポン放送主催の「VIVA唄の市」に、オリジナル曲で出場し優勝します。
そして、同年11月にLP「そっと私は」、EP「心の中の」を出します。
その後、ピピ&コットに参加し、解散後は、キングレコードに移籍。1976年3月には「ひとり寝のララバイ」を発売。同年7月に発売した「どうぞこのまま」がヒットし、この曲は、翌年にかけてロングセラーヒットとなります。

今日はその、「どうぞこのまま」をどうぞ。
どうぞこのまま/丸山圭子

「どうぞこのまま」の作詞、作曲は丸山圭子、編曲は青木望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 -)です。
「どうぞこのまま」は、ニック・デカロの都会的なアレンジを取り入れたかった丸山圭子が、デカロのアルバム『イタリアン・グラフィティ』を持参し、青木望やスタッフに聞かせ、このようなアレンジにしたいと、自ら希望を出した結果生まれた、ボサノバ調の楽曲です。
そしてこの曲の歌詞は、当時の本人の実体験ー許されない恋ーが元となっています。

「どうぞこのまま」誕生の裏には許されない恋があった!

丸山圭子は、著書「どうぞこのまま」(小径社刊)で、20歳のときに書いたこの名曲の誕生の裏には、実は”許されない恋”があった、と告白しています。

この頃、彼女には同じアーティスト仲間の彼がいました。お互いに忙しい中、ふとあいた時間に、二人はデートを重ねていました。
私たちが体を合わせた後、外は雨が降り始めていた。私は、ガラス窓を流れる雨の滴を見つめながら、まもなく二人の時は終わりを告げて、彼が黙って扉を開け、去っていくのを感じていた。にこやかに……、また、自分の世界に戻るように……。彼が去った後で、私の中に一瞬の、刹那(せつな)に生きる想いだけが残った。胸の奥から突き上げる叶(かな)わぬ想い……。それが言葉になり、歌になった。
「どうぞこのまま」は、当時、かくしてひたむきに生きた彼女の想いが凝縮(ぎょうしゅく)された曲だったのです。そしてその想いは、今でもこの歌を歌うときに鮮明に蘇(よみがえ)ってくる、と彼女は言います。

「霧のかなたに/黛 ジュン」 - 18,720枚を売り上げたヒット曲

今日は、黛 ジュンの「霧のかなたに」のご紹介です。

霧のかなたに 黛 ジュン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

黛 ジュン(まゆずみ ジュン、本名:渡邊 順子(わたなべ じゅんこ) 1948年5月26日 -)は、東京都調布市出身の歌手、女優です。実兄は作曲家の三木たかし。
1960年代後半を中心に、独特のパンチの効いた魅力的な歌声でヒットを飛ばした歌手です。

黛 ジュンは、1964年に「渡辺順子」の名でデビューします。
が、ヒットせず、2年後の1967年に石原プロモーションへ移籍します。
くわえて、作曲家である黛敏郎のファンであったことと、パンチのある名前ということで「黛ジュン」に改名し、東芝音楽工業から「恋のハレルヤ」で再デビューをします。

この曲は、ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で、一気に注目を集めることとなります。

そして、翌年の1968年に発売された「天使の誘惑」は更なるヒットとなり、同年の第10回日本レコード大賞に輝きます。
結果、1967年から1968年の2年間において、レコードの売上が500万枚を記録。「天使の誘惑」「夕月」では映画の主演女優に抜擢。売れっ子女優にもなります。

また、年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年間連続で通算4回の出場を果たします。

今日は、そんな黛 ジュンの多くのヒット曲の中から、1967年07月05日に発売された通算2枚目のシングルである、「霧のかなたに」をどうぞ。
 
霧のかなたに/黛ジュン

この曲の歌詞はこちら

なおこの曲は、18,720枚を売り上げました。
出典:http://fg-database.info/blog2/2009/05/1968top30.html

( ^o^) ♪山のソナタの空遠く~ 幸い住むとひとの言う~♪
あっ!(゚o゚)『あなた』だった。(爆)

しかし、黛ジュンは、三木たかしの妹だったんですね。
これは知りませんでした。(O_o)ビックリ!!!

なおこの曲は、のちの1991年に、Mi-Keがアルバム「懐かしのブルーライト ヨコハマ ヨコスカ」でカバーしています。