Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「悲しみがとまらない/杏里」 - 名曲のご紹介

今日は、杏里の「悲しみがとまらない」のご紹介です。

悲しみがとまらない 杏里 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

杏里(あんり、本名:川嶋 栄子(かわしま えいこ) 1961年8月31日 -)は、神奈川県大和市出身の歌手、シンガーソングライターです。現在アメリカ在住。

杏里は、1978年、高校2年生の時に「オリビアを聴きながら」でデビューをします。
この曲は小ヒットながら、長期間にわたって売れ続け、後にスタンダードナンバーとなることになります。

杏里は、幼少時からピアノを習い、大好きな松任谷由実などの楽曲の弾き語りが趣味だったということで、歌手デビューをする前は、ファッションモデルをしていました。

最初の4年ほどはヒットに恵まれませんでしたが、1983年6月に発売された「Bi・Ki・Ni」が自己最高のオリコンアルバムチャート27位を記録。
同年8月には、日本テレビから依頼を受けてアニメ「キャッツ・アイ」の主題歌「CAT'S EYE」を歌ってシングルを発売。この曲が杏里自身予期せぬ大ヒットとなり、自身初のオリコン1位に輝き、杏里の代表曲の一つとなります。

また、その直後に発売した「悲しみがとまらない」も連続大ヒット。2曲そろってベスト10入りを果たします。

きょうはその、1983年11月5日に発売された通算14枚目のシングルとなる、「悲しみがとまらない」をどうぞ。


悲しみがとまらない/杏里

ちなみに、「杏里」という芸名は、当時の所属事務所、ボンド企画の社長で高杉敬二の娘である河村和奈へ出生時に名づける名前だったとのことです。

「むらさき式部/五大路子」 - NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」の主役で女優デビューした五大路子の1978年のヒット曲

今日は、五大 路子の「むらさき式部」のご紹介です。

五大 路子 むらさき式部 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

五大 路子(ごだい みちこ、本名:大和田 美智子(おおわだ みちこ) 出生名:岩岡 美智子(いわおか みちこ) 1952年9月22日 -)は、神奈川県横浜市港北区の女優です。
夫は俳優の大和田伸也。弟は新横浜ラーメン博物館館長の岩岡洋志。特技は、日舞(西川流名取)、居合(三段)、三味線。

五大 路子は、1977年に、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」にて、番組の途中でヒロインの高瀬春奈が病気で降板したため、代役としてテレビドラマでの主役デビューを果たします。

1996年、一人芝居 「横浜ローザ」で横浜文化奨励賞を受賞します。
2008年には、横浜夢座の功績を讃え第29回松尾芸能賞演劇優秀賞を受賞。
2006年に公開された「デスノート」が、キャリア初の映画出演となっています。

今日は、五大 路子の1978年(昭和53年)のヒット曲である、作詞・芦原みづほ、作曲・小林亜星による「むらさき式部」をどうぞ。
 
むらさき式部/五大路子

音楽 リンク
※「むらさき式部」のヒットした年の特定に当たっては、以下のサイトを参考にしました。

歌謡曲シングル盤ヒストリー(1978年)

「ぼくたちの失敗/森田 童子」 - 100万枚に迫る大ヒットとなった、ドラマ「高校教師」の主題歌

今日は、森田 童子の「ぼくたちの失敗」のご紹介です。

ぼくたちの失敗 森田 童子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森田 童子(もりた どうじ、本:不詳 1952年1月15日 - 2018年4月24日)は、東京都出身の女性シンガーソングライターです。

森田 童子は、1975年に、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューをします。
その後、主にライブハウスを中心に活動し、1983年までにアルバム7枚、シングル4枚を発売。
が、同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止します。

カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートはもちろんレコードのジャケットなどでも、その素顔を見せることはありませんでした。
本名は非公開のうえ、実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく、自身の願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたとされています。

今日は、そんな森田 童子の曲の中から、1976年11月21日に発売された「ぼくたちの失敗」をどうぞ。
 
ぼくたちの失敗/森田 童子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われて、話題となりました。
1993年1月に、テレビドラマ「高校教師」の主題歌として、1976年発売のシングル「ぼくたちの失敗」が使われたことで、この曲のシングルCDは100万枚に迫る大ヒットとなりました。

これに伴い、同年3月にベスト盤『ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション』がCDで発売され、続いて同年4月には、オリジナル・アルバム7枚がCDで再発売されたため、活動当時を知らない若い世代を含めて、 森田童子は新たに多くのファンを獲得します。

さらに、同年11月には、映画版『高校教師』の主題歌として「たとえばぼくが死んだら」が使われ、シングルカットされて発売されました。

森田童子の略歴

・1973年に、西荻窪ロフトでライブハウスデビュー。以降、ライブハウスを中心に活動する。

・1975年10月に、シングルレコード「さよなら ぼくの ともだち」で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)からメジャーデビュー。1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)へ移籍。

・1975年~1983年までの間にアルバム7枚、シングル4枚を発売。同年のアルバム『狼少年 wolf boy』と、1984年の新宿ロフトでのライブを最後に音楽活動を休止します。

・2018年4月24日未明、心不全のため自宅で死去。享年(きょうねん)66歳。活動休止後は主婦として暮らしていました。音楽関係者の話として「体調を崩して2017年から入退院を繰り返し、退院後間もなく逝去(せいきょ)した」「公表するつもりはなかった」と報道されました。