Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「夕月/黛 ジュン」 - 累計売り上げは66.3万枚、週間2位を記録した最大のヒット曲!

今日は、黛 ジュンの「夕月」のご紹介です。

夕月 黛 ジュン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

黛 ジュン(まゆずみ ジュン、本名:渡邊 順子(わたなべ じゅんこ) 1948年5月26日 -)は、東京都調布市出身の歌手、女優です。実兄は作曲家の三木たかし。
1960年代後半を中心に、独特のパンチの効いた魅力的な歌声でヒットを飛ばした歌手です。

黛 ジュンは、1964年に「渡辺順子」の名でデビューします。
が、ヒットせず、2年後の1967年に石原プロモーションへ移籍します。
くわえて、作曲家である黛敏郎のファンであったことと、パンチのある名前ということで「黛ジュン」に改名し、東芝音楽工業から「恋のハレルヤ」で再デビューをします。

この曲は、ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で、一気に注目を集めることとなります。

そして、翌年の1968年に発売された「天使の誘惑」は更なるヒットとなり、同年の第10回日本レコード大賞に輝きます。
結果、1967年から1968年の2年間において、レコードの売上が500万枚を記録。「天使の誘惑」「夕月」では映画の主演女優に抜擢。売れっ子女優にもなります。

てなもんや三度笠(1962年 - 1968年)、花の恋人たち(1968年)、火曜サスペンス劇場「姉は二度死んだ」(1984年)、新・事件「断崖の眺め」(1984年)、特捜最前線 第385話「新幹線出張殺人!」(1984年)など多くのドラマにも出演します。

また、年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年間連続で通算4回の出場を果たします。

今日は、そんな黛 ジュンの多くのヒット曲の中から、1968年09月10日に発売された通算5枚目のシングルである、「夕月」をどうぞ。
夕月/黛ジュン

この曲の作詞はなかにし礼で、作曲は黛の実兄である三木たかし(2009年5月11日に喉頭がんで死去。享年64歳)が手がけた作品です。
年をまたいだロングセラーとなり、累計売り上げは66.3万枚を記録、前作「天使の誘惑」を上回る自身最大のヒット曲となりました。

また、オリコンチャートにおいては、最高順位週間2位、1968年度年間20位、」1969年度年間46位を記録しています。

「人恋くて/南沙織」 - 名曲のご紹介

今日は、南 沙織の「人恋くて」のご紹介です。

人恋くて 南沙織ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

南 沙織(みなみ さおり、本名:篠山 明美(旧姓:内間 明美) 1954年7月2日 -)は、沖縄県出身の元アイドル歌手です。夫は写真家の篠山紀信。

南 沙織は、1971年の春、本土復帰前の沖縄から母親と二人で上京します。
そして、そのわずか3ヶ月後に「17歳」で歌手デビュー。この曲は、約54万枚の大ヒットとなります。

デビュー当時からインパクトのある歌手で、それについては、写真家の篠山紀信(現、夫)が、「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」と述懐しています。

同年暮れに行なわれた第13回日本レコード大賞では、新人賞を受賞し、さらにその年のNHK「第22回NHK紅白歌合戦」にも初出場。
ブロマイドの売り上げにおいても、1971年、1972年と年間売り上げ実績で第1位を獲得しており、また、同時期にデビューした小柳ルミ子、天地真理らと共に 「三人娘」と呼ばれることもあり、南 沙織は当時のアイドルの代表格でした。

今日は、そんな南 沙織の、1975年8月1日に発売された通算16枚目のシングルである、「人恋くて」をどうぞ。


人恋くて/南沙織

この曲の歌詞はこちら

「親父の一番長い日/さだまさし」 - ドラマにもなった、オリコン週間1位を記録したヒット曲!

今日は、さだまさしの「親父の一番長い日」のご紹介です。

親父の一番長い日 さだまさし ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

(本名:佐田雅志(さだまさし、同じ)、1952年4月10日 -)は、長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家です。愛称は「まっさん」。

さだ まさしは、1972年に、高校時代からの音楽仲間だった友人の吉田正美(現・吉田政美)とフォークデュオ「グレープ」を結成し、メジャーデビューをします。
最初は、まったく売れませんでしたが、やがて「精霊流し」のヒットで、その名が全国的に知られるようになります。

グレープを解散してソロシンガーになってからも、「雨やどり」、「関白宣言」、「親父の一番長い日」、「北の国から~遥かなる大地より~」など、たくさんのヒット曲を生み出します。
中でも、雨やどりがきっかけで知り合って恋に落ち、結婚にまで至る2人の姿をコミカルに歌った「雨やどり」は、オリコンシングルチャート1位となる大ヒットとなります。

さだ まさしは、2013年7月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行っている歌手でもあり、その回数は4000回を越えるという、精力的なミュージシャンでもあります。

また、小説家としても活動し、「解夏(げげ)」「眉山(びざん)」などの著作を出版しています。

今日は、そんなさだまさしの多くの曲の中から、1979年10月12日に発表されたシングルである、「親父の一番長い日」をどうぞ。 
「親父の一番長い日」は、オリコンチャートにおいて週間1位、1979年度年間38位、1980年度年間36位を記録しています。

「親父の一番長い日」って、どんな曲?

「親父の一番長い日」は、1978年の軽井沢音楽祭のために制作された楽曲です。
内容としては一人の女性の誕生から結婚に至るまで人生と、娘の成長に一喜一憂する父親の姿が、この女性の兄の視点から描かれているものですが(佐田自身の家がモデル)、この曲を原案として、テレビ・ドラマ化もされています。