Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ペパーミント・モーニング/やまがた すみこ」 - 管理人一押し! アルバム「FLYING」に収録されている名曲

今日は、やまがた すみこの「ペパーミント・モーニング」のご紹介です。

やまがた すみこ ペパーミント・モーニング ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

やまがた すみこ(旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 -) は、東京都北区出身のフォーク、歌謡曲等のシンガーソングライター、スタジオミュージシャンです。作詞作曲者としての名義は「山県すみ子」で、「モモ」名義の録音もあります。夫は井上鑑(いのうえ あきら)。

やまがた すみこは、小学校6年生の頃から作詞作曲を始め、上野学園高校1年生在学中(1972年)にTBS系の視聴者参加番組「家族そろって歌合戦」に出場し、中学生の時の自作曲「夏になったら」を歌い優勝します。
これをきっかけに、日本コロムビアからスカウトされ、芸能事務所のバードコーポレーションに所属。翌年の1973年2月に自作曲を歌ったファーストシングル「風に吹かれていこう/あの人が好きなのに」で歌手デビューをします。

ファーストアルバム「やまがたすみこフォークアルバム第一集 風、空、そして愛」(1973年3月)には自作曲のほか森山良子などのカバー曲も収録されており、作風としては本田路津子風のカレッジフォークスタイルを取っていましたが、その後、次第に「ニューミュージック」色が強まっていきます。
1977年初内の「FLYING(フライング)」においては自作曲が減り、代わって松本隆、鈴木茂、細野晴臣、佐藤健、伊藤銀次らが曲制作に参加していきます。

1985年には、つくば科学万博「住友館」のテーマ曲「空に会おうよ」(作曲・編曲:坂本龍一、作詞:矢野顕子)を「モモ」と言う名前で歌っていました。

テレビ媒体においては、TBS系TVドラマ「おさななじみ」のテーマ曲「あの日のことは」(1973年)、アニメーション「南の虹のルーシー」のテーマ曲の「虹になりたい」「森へおいで」(1982年)で知られています。
「おさななじみ」では、ギターを持つやまがたすみこが登場し、居間や窓辺で「夏になったら」「風に吹かれていこう」「あの日のことは」などの曲を歌うシーンや、林寛子と2人で「この広い野原いっぱい」を合唱するシーンもあり、単なるフォーク歌手というよりも、一種美少女アイドル的な時期もありました。

今日は、そんなやまがた すみこの1977年07月25日に発売されたレコードアルバムである「FLYING(フライング)」から、「ペパーミント・モーニング」をどうぞ。
 
ペパーミント・モーニング/やまがた すみこ

前述したように、やまがた すみこは、最初はフォークソング路線でしたが、次第にニューミュージック系に移り、1974年の4枚目のアルバム「虹 RAINBOW」からは、ポップス系のアレンジを取り入れた曲になっています。

さらに、1976年の6枚目のアルバム「サマー・シェイド」からは、シティ・ポップへ路線変更し、新たなファン層を獲得します。

今日取り上げている1977年発売のアルバム「FLYING」では自作曲が減り、代わって松本隆、鈴木茂、細野晴臣、佐藤健、伊藤銀次らが参加しています。

なお、アルバム「FLYING」の収録曲は以下の通りです。

1.ペパーミント・モーニング
2.あなたにテレポート
3.TODAY
4.黄昏遊泳
5.私春記
6.ムーンライト・ジルバ
7.夢色グライダー
8.GOOD-BYE・グラフィティ
9.夜を渡って
10.クリスタル・ホテル

なお、同アルバム収録曲の中では、「ムーンライト・ジルバ」と「夢色グライダー」もおススメです。
お時間が許せば、是非こちらもお聴きになってみてください。(^^)
 

「ムーンライト・ジルバ/やまがた すみこ」 - アルバム「FLYING」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、やまがた すみこの「ムーンライト・ジルバ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。やまがた すみこ(旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 -) は、東京都北区出身



「夢色グライダー/やまがた すみこ」 - アルバム「FLYING」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、やまがた すみこの「夢色グライダー」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。やまがた すみこ(旧本名 : 山県寿美子、1956年10月11日 -) は、東京都北区出身のフォ



「風のララバイ(Your World And My World)/アルバート・ハモンド」 - 「カリフォルニアの青い空」で知られるアルバート・ハモンドの1981年のヒット曲

今日は、アルバート・ハモンドの「風のララバイ(Your World And My World)」のご紹介です。

風のララバイ Your World And My World アルバート・ハモンド Albert Hammond ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

アルバート・ハモンド(Albert Hammond、1944年5月18日-)は、イギリスのロンドン出身のシンガーソングライターです。息子はザ・ストロークスのアルバート・ハモンドJr.です。

アルバート・ハモンドは、1960年にジブラルタルでThe Diamond Boysというバンドを組んでいましたが、あまり売れず、1969年にイギリスのボーカルグループ、The Family Doggに参加。同グループの「A Way of Life」は、UKでトップ10ヒットを記録します。

1970年代に入り、アメリカ合衆国に移住し、1972年には「カリフォルニアの青い空(It Never Rains In Southern California)」が大ヒットします。
この曲は、オリコンチャート最高11位となり、20万枚を売り上げ、アルバート・ハモンドの代表曲となります。
 

「カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド」 - 20万枚を売り上げた代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。アルバート・ハモンド(Albert Hammond、1944年5月18日-)は、イギ


また作曲者としては、ホリーズの「安らぎの世界(The Air That I Breathe)」や、レオ・セイヤーの「ウェン・アイ・ニード・ユー(邦題:はるかなる想い)」、カーペンターズの「青春の輝き(I Need to Be in Love)」などのヒット曲を作曲しており、1981年には「風のララバイ(Your World And My World)」が、日本でヒットします。

1986年頃からは、ダイアン・ウォーレンと共作するようになり、1987年にはこのコンビでの作曲で、スターシップが歌った「愛は止まらない(Nothing Gonna Stop Us Now)」が全米No.1となるビッグヒットを記録。
ティナ・ターナーやディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリン、セリーヌ・ディオンなどのトップシンガーたちが、彼の曲を取り上げるようになります。

中でも、ホイットニー・ヒューストンが歌った「One Moment In Time(邦題:ワン・モーメント・イン・タイム)」はアメリカで5位、ダイアナ・ロス歌った「恋のプレリュード(When You Tell Me That You Love Me)」はイギリスで2位を記録する大ヒットとなります。

今日は、そんなアルバート・ハモンドの、1981年のヒット曲である「風のララバイ(Your World And My World)」をどうぞ。
 
風のララバイ(Your World And My World)/アルバート・ハモンド(Albert Hammond)

この曲の歌詞はこちら

素敵な曲ですね。(^^)
失恋の歌ですが、夏の爽やかな香りがして来るような、とても柔らかく穏やかなメロディーに癒されます。

「落葉のコンチェルト」も名曲

アルバート・ハモンドといえば、「落葉のコンチェルト」も名曲です。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド」 - 『カリフォルニアの青い空』と並ぶアルバート・ハモンドの代表曲!|Super源さんの音楽ブログ

「落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド」 - 『カリフォルニアの青い空』と並ぶアルバート・ハモンドの代表曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、アルバート・ハモンドの「落葉のコンチェルト」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。アルバート・ハモンドOBE(Albert Hammond、1944年5月18日- )は、イ



「狼なんか怖くない/石野 真子」 - オリコンで17位を記録したデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、石野 真子の「狼なんか怖くない」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。

当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子に付けられたのは「100万ドルの微笑」でした。また、八重歯とタレ目であることもチャームポイントにしていました。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。
 

「春ラ!ラ!ラ!/石野 真子」 - 16万枚の売上げを記録した、石野真子最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石野 真子の春うらら、 (.。)☆\バキ じゃなかった、「春ラ!ラ!ラ!」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日


今日は、そんな石野真子の、デビュー曲である「狼なんか怖くない」をどうぞ。
 
狼なんか怖くない/石野真子

この曲の作詞は阿久悠、作曲は吉田拓郎で、当時オリコンで最高順位17位を記録しました。

1978年に、所属事務所からデビュー曲が決定したとの知らせが届き、レコーディング準備に入るために上京することになった石野真子は、電話の受話器越しに作曲者である吉田拓郎の歌うこの「狼なんか怖くない」のデモテープを初めて聴き、感激したといいます。

また、このシングルのジャケット写真は、篠山紀信による撮影ですが、この写真について、石野真子はのちに、

「赤坂のおしゃれな公園での撮影で、スタイリストさんも付いてくれたのですが、田舎から出てきたばっかりで、洗練されてなくて、出来上がったジャケット写真を見ると、なんか眠たそうで「ホニョー」っとした顔していて、「アーア」って思いました。せっかく、あんな有名なカメラマンに撮っていただいたのに、ホントにがっくりでした。」

と、コメントしています。

石野真子のシングル売上げTOP10は?

なお、石野真子のシングル売上げTOP10は以下の通りです。

順位曲名発売日最高順位
1春ラ!ラ!ラ!1980年01月01日16
2ジュリーがライバル1979年09月25日24
3狼なんか怖くない1978年03月25日17
4めまい1980年07月05日24
5ハートで勝負1980年04月05日15
6失恋記念日1978年10月05日24
7わたしの首領1978年06月25日26
8恋のハッピー・デート1980年11月21日27
9ワンダー・ブギ1979年07月05日22
10日曜日はストレンジャー1979年01月25日19
出典:https://www.oricon.co.jp/prof/228087/rank/single/

さて、この記事を読んでいる、石野真子ファンのあなた!
どうでしょう? 納得のいく順位になっていますか?