Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「失恋記念日/石野 真子」 - オリコンで24位を記録した1978年のヒット曲

今日は、石野 真子の「失恋記念日」のご紹介です。

失恋記念日 石野 真子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。
 

「狼なんか怖くない/石野 真子」 - オリコンで17位を記録したデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石野 真子の「狼なんか怖くない」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町


当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子に付けられたのは「100万ドルの微笑」でした。また、八重歯とタレ目であることもチャームポイントにしていました。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。
 

「春ラ!ラ!ラ!/石野 真子」 - 16万枚の売上げを記録した、石野真子最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石野 真子の春うらら、 (.。)☆\バキ じゃなかった、「春ラ!ラ!ラ!」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日


今日は、1978年10月5日に発売された通算3枚目のシングルである「失恋記念日」をどうぞ。
 
失恋記念日/石野真子

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は阿久悠、作曲は、穂口雄右で、オリコンで最高順位24位を記録します。
石野真子はこの曲で、同年の第20回日本レコード大賞で新人賞を受賞し、また、当時は賞レース番組だったフジテレビ系音楽番組『FNS歌謡祭』でも新人賞を受賞します。

なお、この時の映像は、同番組内の各年代のヒットソングを映像で振り返るコーナーの1970年代の部分で放送されることがあります。

おっ!(゚o゚)
今気がついたのですが、出だしの部分のメロディーが、沢田研二の「LOVE (抱きしめたい)」と同じですね。(^^)

ちなみに、この「失恋記念日」は、デビュー年の締めを飾る作品で、同年暮れの「第20回輝く!日本レコード大賞」で、石野真子はこの曲で新人賞を受賞します。

「激しい恋/西城秀樹」 - 名曲のご紹介

今日は、「西城 秀樹」の「激しい恋」のご紹介です。

激しい恋 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズとともに歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。

そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

今日は、1974年5月25日に発売された通算9枚目のシングルである、「激しい恋」をどうぞ。


激しい恋/西城秀樹

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、この曲は当時、激しいアクションとともに「やめろと言われてもー♪(ヒデキー!!)」の歌詞部分が流行語にもなり、西城秀樹はブロマイドの月間売上が第1位になるなど、「一大ヒデキブーム」を巻き起こしました。

「霧のめぐり逢い/岩崎宏美」 - 「二重唱 (デュエット)」でデビューした岩崎宏美の、オリコン週間4位を記録したヒット曲!

今日は、「岩崎宏美」の「霧のめぐり逢い」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

岩崎宏美(いわさきひろみ、1958年11月12日 -)は、東京都江東区出身の歌手、女優です。愛称はヒロリン。岩崎良美は、彼女の実妹です。

岩崎宏美は、1975年4月25日、「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に「二重唱 (デュエット)」でデビューします。デビュー当初から、きれいな声と十分な声量、そして正確な音程で実力派歌手として既に高い評価を受けていた彼女は、1970年代から1980年代の歌謡界を代表する歌手の一人です。

シングルは、1975年から2007年までの約30年間にマキシ・シングルも含めて61枚が発売されており、オリコンチャートでは内15枚がベスト10入り、また「ロマンス」「センチメンタル」「聖母たちのララバイ」の3曲は週間売上1位を獲得しています。
特に、「ロマンス」「聖母たちのララバイ」は、両曲共に売上80万枚を超える大ヒット曲となっています。

TBS系の「ザ・ベストテン」においては、1979年から1983年までの5年間に5曲計35週チャートインし、「聖母たちのララバイ」が5週連続1位を獲得しています。また、「NHK紅白歌合戦」には、1975年から1988年までの14年間、毎年出場しています。

さて、それでは早速、阿久悠・作詞、 筒美京平・作曲による、1976年08月01日に発売された通算6枚目のシングルである、「霧のめぐり逢い」をどうぞ。
 

霧のめぐり逢い/岩崎宏美

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位週間4位、1976年度年間49位を記録しています。