Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「街の灯/堺 正章」- テレビドラマ「時間ですよ」の挿入歌 オリコン週間20位を記録したヒット曲

今日は、堺 正章の「街の灯(まちのあかり)」のご紹介です。

街の灯 堺正章 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

堺 正章(さかい まさあき、本名:栗原 正章(くりはら まさあき) 1946年8月6日 -)は、タレント、コメディアン、歌手、俳優、司会者です。愛称は、「マチャアキ」。

堺 正章は、5歳のときに父親に連れられて撮影所に行ったのをきっかけに、子役として映画に出演し、芸能界にデビューします。

そして、16歳(1962年)のとき、音楽バンド「ザ・スパイダース」に加入。その後加入した井上順(注)とともにボーカルを担当し、「夕陽が泣いている」などでヒットをします。

1970年に同バンドが解散してからは、ソロで歌手活動を開始。同時にコメディアン、俳優、司会と、多方面に活動の幅を広げていきます。

今日は、1973年に発売された、通算8枚目のシングルとなる「街の灯」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら
この曲は、TBS系テレビドラマ「時間ですよ」の挿入歌として使用されました。
この曲は、オリコンチャートにおいて週間20位を記録し、堺正章は、同年末に行なわれた第24回NHK紅白歌合戦でこの曲をが歌唱。
同年に行われた第15回日本レコード大賞では、作曲賞を受賞しています。
またこの曲は、1979年に研ナオコがアルバム『NAOKO VS AKU YU』で、1981年に岩崎宏美がアルバム『すみれ色の涙から』で、2008年にモーニング娘。がアルバム『COVER YOU』で、2008年に大友康平がアルバム『J-STANDARD 70's』で、そして2008年に藤田恵美がアルバム『ココロの食卓~おかえり愛しき詩たち~』で、それぞれカバーしています。

「午後の旅立ち(Triste coeur)/リチャード・クレイダーマン」 - テレビドラマ「午後の旅立ち」主題曲

今日は、リチャード・クレイダーマンの「午後の旅立ち(Triste coeur)」のご紹介です。

午後の旅立ち リチャード・クレイダーマン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

リチャード・クレイダーマン(リシャール・クレデルマン)(Richard Clayderman、1953年12月28日 -)はフランスのパリ郊外のロマンヴィルで生まれたピアニストです。
本名はフィリップ・ロベール・ルイ・パジェス(Philippe Pages)で、幼少時よりピアノに親しみ、5歳で作曲を始め、学校の教科書よりも楽譜の方がよく読めたと伝えられています。

リチャード・クレイダーマンは、16歳でコンセルバトワールを首席で卒業します。
その後、最終的にポピュラー音楽の道を選び、初めはスタジオ・ミュージシャンや、有名歌手のバック・オーケストラのピアニストを務めていました。
そんな折、クレイダーマンの評判を聞きつけたプロデューサーから、オーディションの誘いを受けます。

そのオーディションは、ポール・ドゥ・センヌヴィル(英語版)とオリヴィエ・トゥッサン(英語版)が行なっていた、当時音楽が過激化へと向かう中、あえてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴える新しいキャラクターによるピアニストを探すというもので、選ばれた暁には、芸名が「リチャード・クレイダーマン」、デビュー曲は「Ballade pour Adeline」(渚のアデリーヌ)とあらかじめ決まっていたといいます。

そして、そのオーディションで集まった約20人の中から、ピアノのテクニック、音楽性、そして容姿のいずれにおいても優れていたのがクレイダーマンで、1976年にセンヌヴィルが設立した新しいレコード会社「デルファン」から、「渚のアデリーヌ」にてレコードデビューすることになります。


ゆうちゃん



おおっ!
リチャードクレイダーマンって、スゴい人だったんだね!


しんちゃん



同感!
オレも知らなかったよ
デビュー当初、リチャード・クレイダーマンはフランスではあまり注目されませんでしたが、その後西ドイツのテレビドラマの主題歌に使われたことから、全西独シングル・ヒット・チャートの第1位に輝き、これをきっかけにスペイン周辺の国々でもヒットし、いわば逆輸入の形で母国フランスでもヒットすることになります。

今日は、リチャード・クレイダーマンの発売した多くの曲の中から「午後の旅立ち」をどうぞ。
 
午後の旅立ち(Triste coeur)/リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman)

この曲は、テレビ朝日系列ドラマ「午後の旅立ち」の主題曲として使われました。

リチャード・クレイダーマンの発売した、主なオリジナルアルバム

星空のピアニスト(lyphard melodie) 1979年(1977年)
秋のささやき(A Comme Amour)  1980年(1978年)
愛しのクリスティーヌ(lettre a mere) 1981年(1980年)
愛のコンチェルト(Concerto Pour Une Jeune Fille Nommee "Je T'Aime") 1982年(1981年)
パンドラの旅(voyage a venise) 1983年(1982年)
星のセレナーデ(Coup De Coeur) 1984年(1983年)
虹色の心(couleur tendress) 1985年(1984年)
綿の国星(un blanc jour d'un chaton9 1986年(1985年)
ア・ムール(amour) 1987年(1986年)
愛のソナタ(les sonata) 1988年(1987年)
エレアナの瞳(ELEANA) 1998年

※曲名の右の西暦は、日本での発売年を示す(括弧内はフランス)。

リチャード・クレイダーマンって、どんな人?

リチャード・クレイダーマンは、大変なはにかみ屋で、かつ物静かな人物です。
酒やタバコは、一切やりません。
休日は自宅でピアノを弾いたり、音楽を聴いたり、読書をしたりして過ごすことが多く、出歩くことは滅多にありません。
ピアノを集めるのも趣味のひとつで、自宅にたくさんのピアノがあります。
その中には、日本製のものもあります。

外出することはあまりありませんが、その時は愛車のBMWを自ら運転するか、あるいは友人とバスや地下鉄に乗って出かけます。

楽屋で用意される飲食物も、シャンパンやキャビアではなく、サンドイッチとミネラル・ウォーターとリンゴがあれば充分と答えています。

そうそう。リチャード・クレイダーマンといえば、「愛しのクリスティーヌ」もおススメです。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)
 

「愛しのクリスティーヌ(Souvenir d’enfance)/リチャード・クレイダーマン」 - 「渚のアデリーヌ」で知られるリチャード・クレイダーマンの1981年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「リチャード・クレイダーマン」の「愛しのクリスティーヌ(Souvenir d'enfance)」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。リチャード・クレイダーマン(リシャール



「恋のフーガ」 - 名曲のご紹介

今日は、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」のご紹介です。

ザ・ピーナッツ(The Peanuts)は、愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)出身の双子の姉妹によるデュオです。
略称は「ピーナッツ」。

メンバーは、姉の伊藤エミ(本名、澤田 日出代(さわだ ひでよ)(旧姓、伊藤)と、妹の伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ)の2人です。

ザ・ピーナッツは、1959年2月11日に、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビューをします。
そして、4月に「可愛い花」でレコードデビュー。
1959年6月17日から1970年3月31日まで、フジテレビ系の歌謡番組「ザ・ヒットパレード」のレギュラーに抜擢され、その後1961年6月4日から1972年10月1日までは、日本テレビ系の人気バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」でメインの司会者を務めます。

また、日本国外でも活躍し、「エド・サリヴァン・ショー」(アメリカ)や「カテリーナ・バレンテ・ショー」(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、「ダニー・ケイ・ショー」(アメリカ)にも出演したことがあります。

また、女優活動も少ないながら行なっており、映画などにも数作出演しています。
中でも、モスラでの「小美人(架空の妖精)」役は現在もなお根強い人気があります。

今日は、そんなザ・ピーナッツの1967年に発表された「恋のフーガ」をどうぞ。


恋のフーガ/ザ・ピーナッツ

ちなみに、この曲には英語バージョンもあり、2004年6月にキングレコードより発売されたザ・ピーナッツ レア・コレクションなどに収録されています。
また、この曲は2003年8月に小柳ゆき、2005年2月にはW(ダブルユー)がカバーしています。