Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ (Will You Still Love Me Tomorrow)/ザ・シュレルズ」 - USチャート1位を獲得したザ・シュレルズの代表曲

今日は、ザ・シュレルズのウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ (Will You Still Love Me Tomorrow)のご紹介です。

ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ ザ・シュレルズ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ザ・シュレルズ(The Shirelles)は、1958年に米国ニュージャージーで結成された黒人女性コーラスグループです。

メンバーは、シャーリー・オーエンス(Shirley Owens Alston)、ドリス・ケナー(Doris Coley Kenner)、ビバリー・リー(Beverley Lee)、エディ・ミッキ・ハリス(Addie Mickey Harris)の4人。

ザ・シュレルズは、ハイスクールの同級生によって結成された4人組のグループで、当初はポケロスと名乗るアマチュアのコーラスグループでしたが、彼女たちの歌を聴いたクラスメートの一人であるメアリー・ジェーン・グリンバーグ(Mary Jane Greenbergが、自分の母親へこの4人を紹介したことが、レコード・デビューへのきっかけとなりました。

実はその母親とは、主婦業のかたわら、ティアラ・レコードという会社を経営しているフローレンス・グリーンバーグ(Florence Greenberg)で、4人は彼女の薦めにより同レーベルと契約し、「I Met Him On A Sunday」、「I want you to be my boyfriend」をレコーディングし、グループ名を「The Shirelles」としてレコードデビューをすることになります。

この曲は、ビルボードチャートで第49位と、ベスト10には今一及びませんでしたが、この曲をきっかけにフローレンス・グリーンバーグが立ち上げたセプター・レーベルから1960年にリリースされた 「Will You Still Love Me Tomorrow※」が、女性コーラス・グループとしては史上初の全米チャート第1位 に輝き、シュレルズの最大のヒット曲となります。

今日は、ザ・シュレルズの代表曲でもある、その「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」をどうぞ。
 
ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ (Will You Still Love Me Tomorrow)/ザ・シュレルズ(Shirelles)

この曲の歌詞はこちら

この曲は「イッツ・トゥ・レイト」の世界的なヒットで知られるキャロル・キングが作詞し、彼女の夫のゲリー・ゴフィンが作曲したものです。
USチャートで1位、US R&Bチャートで2位、UKチャートで4位を記録するヒット曲となりました。

シュレルズは、当初この曲を歌うことにあまり乗り気ではありませんでしたが、蓋をあけてみれば、1961年のゴールド・ディスクを獲得するほどの大ヒットとなったのでした。

歌詞の内容としては 恋する女性の不安な気持ちを歌ったもので、当時としては斬新だったようです。

※この曲は最初、単に「Tomorrow」として発売されました。

「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)」 - 1979年の女性ベスト・R & B ・ボーカル賞獲得曲!

今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学中、作曲家のバート・バカラックと出会い、大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビューします。

翌年の1964年、「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」のヒットを放ってからは、「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jos)」、「恋よさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放っていきます。
 

「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)」 - 1968年の女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ディオンヌ・ワーウ


1970年代においては、1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー」がNo.1になりますが、その後はしばらく不振が続きます。
が、1979年にバリー・マニロウのプロデュースによる「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」が久々のヒット曲となり、この曲はグラミー賞を受賞します。

1980年代においては、1982年にバリー・ギブ制作による「ハートブレイカー」がヒット。1986年にはバカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー」が大ヒットします。

今日は、1979年に発売された 「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)」をどうぞ。
 
デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)

ディオンヌ・ワーウィックはこの曲で、1979年の女性ベスト・R & B ・ボーカル賞を獲得しています。

「恋はみずいろ/ポール・モーリア」 - 名曲のご紹介

今日は、ポール・モーリアの「恋はみずいろ」のご紹介です。

ポール・モーリア(Paul Mauriat、1925年3月4日 - 2006年11月3日)は、フランスのマルセイユ出身の作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者です。
特に日本では「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名です。

ポール・モーリアは、1943年にマルセイユのダンスホール「ブラッスリー・ラ・クーポール」専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューをします。その翌年の1944年には、同楽団の指揮者を兼任します。

1948年、ギタリストのマルセル・ビアンキが率いるオーケストラに創設メンバーとして加入。同年12月から9ヶ月間に亘るエジプト・ツアーに参加します。

1951年にはパリ進出し、近郊のダンスホールで演奏していたフランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加しますが、翌年マルセイユに帰郷。ダンスホール「ル・ヴァンピング」のオーケストラ活動が評判となり、1957年にRGMレーベルからレコードデビューをします。

1965年には、BEL AIRレーベルとの契約満了の後に、ポール・モーリア・グランド・オーケストラ (LE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT)としてフィリップスとのレコード発売契約を締結。
1968年に「恋はみずいろ」が全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に、世界的にヒット(約500万枚)、RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞します。

今日はその「恋はみずいろ」をどうぞ。


恋はみずいろ/ポール・モーリア

哀愁の漂う名曲です。ハープが効いてますね。
私はポール・モーリアの曲はすべて好きですが、特にこの「恋はみずいろ」と「蒼いノクターン」、それと「涙のトッカータ」がお気に入りです。(^^)