Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「いとしのロビン・フッドさま/榊原 郁恵」- オリコンチャート18位を記録したヒット曲

今日は、榊原 郁恵の「いとしのロビン・フッドさま」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

榊原 郁恵(さかきばら いくえ、本名:渡辺 郁惠(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原 郁惠、1959年5月8日 - )は、神奈川県川崎市出身の元アイドル歌手、女優、タレントです。
夫は、俳優の渡辺徹。

榊原 郁恵は1976年、高校2年生の時に、ホリプロの主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、芸能界に入ります。
そして、これを機に上京。CMや映画へ出演しはじめます。

翌年の1977年(昭和52年)1月1日には、歌手としてデビュー。
デビュー以降、アイドルとして「ナッキーはつむじ風」をはじめ、数多くのドラマやCMで人気を獲得します。
また、「明星」「平凡」「近代映画」などの表紙を度々飾り、またタレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績をもちます。

1970年代後半には、ミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラーで出演します。

歌手としては、7枚目のシングル「夏のお嬢さん」が自身最大のヒットであるものの、オリコンチャートでは最高11位にとどまり、これが自身の最高位となっています。
「NHK紅白歌合戦」には、1978年から6回連続出場し、紅組トップバッターを2回務めます。

今日は、そんな榊原 郁恵の1978年1月1日に発売された、通算5枚目のシングルである「いとしのロビン・フッドさま」をどうぞ。
 
いとしのロビン・フッドさま/榊原郁恵

この曲の歌詞はこちら

この曲は、明るいタッチで作られた楽曲ではありましたが、大ヒットまでにはならず、オリコンチャート最高18位、総売り上げ約15.3万枚までのスマッシュヒットでした。

また、本人がオレンジ色のロビン・フッド調の衣装で歌唱していたこともあり、当時のNHKの子供番組でも取り上げられて話題になりました。

ちなみに、夫の渡辺徹は、榊原郁恵がデビューした当時からのファンで、部屋には郁恵のビキニ姿のピンナップを貼っていたほどだといいます。
なので、「風の中のあいつ」で彼女と共演することが決まった時には、「太陽にほえろ!」のオーディションを通過したときくらいに喜んだということです。

なお、榊原郁恵といえば、1980年に発売された「ロボット」もおススメです。
こちらも楽しいですよ。(^^)
 

「ROBOT(ロボット)/榊原 郁恵」- 「夏のお嬢さん」が大ヒットした榊原郁恵の1980年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、榊原 郁恵の「ロボット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。榊原 郁恵(さかきばら いくえ、本名:渡辺 郁惠(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原 郁惠)は、神奈川県川崎市出



「パシオン(Pasion)/Buzy(ビズィー)」 - オリコン26位を記録したヒット曲!

今日は、Buzyの「パシオン(Pasion)」のご紹介です。

パシオン Pasion Buzy パシオン ビズィー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

Buzy(ビズィー、2002年 - 2006年)は、女性6人組のダンスボーカルグループです。

メンバーは、宮里真央(みやざと まお)、當山奈央(とうやま なお)、朝間ユリサ(あさま ゆりさ)、丹羽麻由美(にわ まゆみ)、岩永幸子(いわなが さちこ)、竹田侑美(たけだ ゆみ)で、メンバー全員、キャレスボーカル&ダンススクール大阪校出身です。

Buzyは、2004年3月3日に、ファーストシングルとなる「鯨」 を発売します。

2003年 - 2006年には、 Buzy としてだけではなく、同じ事務所の BOYSTYLE、Perfume、小野麻亜奈、喜友名星、名取愛加 らと共にグループ BEE-HIVE としても活動します。

Buzyは、いわゆるアイドルグループとは一線を画しており、高く評価されますが、売り上げ自体は今ひとつで、 「ラジかる!!」 に朝間ユリサが出演した際、 「鳴かず飛ばずだった」 と紹介されるといったこともありました。

2006年6月末に解散するまで、グループとして4枚のシングル、2枚のアルバムを発売しているBuzyですが、今日は2005年11月9日に発売された4枚目のシングルである「パシオン(Pasion)」をどうぞ。
 
パシオン(Pasion)/Buzy(ビズィー)

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は新藤晴一、作曲は本間昭光です。
オリコンチャートにおいて、最高順位26位を記録、登場回数は4回となっています。

またこの曲は、前述した通り、Buzyの4枚目、つまり最後のシングルで、ジャケットイラストは新藤晴一が手がけています、
当時、通常盤と初回限定盤の2種類が発売され、初回限定盤はDVD付きでした。
また、この曲のPVの監督は前畑貴文で、小松彩夏が出演していますが、メンバーは一切出演していません。

なお、Buzyの前身は、1998年に宮里真央、當山奈央、丹羽麻由美、門田こむぎの4人で結成された「COLOR」というバンドです。

「ラヴァーズ・コンチェルト/サラ・ヴォーン」 - ドラマ「不機嫌なジーン」挿入歌 天海祐希出演のニッポンハムグループCM曲

今日は、サラ・ヴォーンの「ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover's Concerto)」のご紹介です。

ラヴァーズ・コンチェルト サラ・ヴォーン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan, 1924年3月27日 - 1990年4月3日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアーク出身の黒人女性ジャズボーカリストです。

サラ・ヴォーンは、コントラルト(contralto、=女性の最低音域)からソプラノまでの幅広い声域に、美しいヴィブラートの掛かった、オペラ歌手にも匹敵する声と、豊かな声量を兼ね備えた、大胆なフェイク(=原曲のメロディを即興で変えて歌ったり演奏すること)やスキャットを取り入れた歌唱力をも持ち味とした歌手です。
ジャズ・ボーカル史上、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人と言われています。

サラ・ヴォーンのデビューは1940年代で、1947年に歌った「It's Magic」が初めてのヒット曲となり、大型新人として注目を集めます。

ジャズに留まらない幅広い音楽性を持ち、ポップスにも挑戦して、1950年代には「Whatever Lola Wants」や「roken-heated Melody」などのいくつかのヒット曲がありますが、これらは商業的に大きな成功をするには至らず、通俗性ゆえに批評家からは冷淡な扱いを受けます。

1960年代には、ビートルズのカバーや、1965年に発表し日本では特に知られている「ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover's Concerto)」も発表します。

今日はその、「ラヴァーズ・コンチェルト」をどうぞ。
 ラヴァーズ・コンチェルト/サラ・ヴォーン

この曲の歌詞はこちら

昔のことですが、私は最初、ラジオから流れてくるこの曲を聴いたとき、てっきり「男性」が歌っているのかと…。(^o^;
まぁ、声がふくよかで、けっこうキーが低いですからねぇ。

ちなみに、この「ラヴァーズ・コンチェルト」の歌詞の内容は、好きな彼氏と一生別れたくないという恋する女性の純真な気持ちを歌ったものです。


「♡愛してるっチ」「♡あたしもっチ」

また、お気づきの方も多いかと思いますが、この曲の原曲はクラシックです。
正確には、J・S・バッハの「アンナ・マグダレーナ・バッハの(ための)音楽帳」のメヌエットで、「ラヴァーズ・コンチェルト」は、この曲をモチーフにしてポップス風に編曲してできたものです。

アンナ・マグダレーナ・バッハというのは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの後妻で、ドイツの声楽家、作曲家です。

1965年に、アメリカのソングライター、サンディー・リンザー(Sandy Linzer)とデニー・ランデル(Denny Randell)が詩をつけたものをガール・グループ、「ザ・トイズ(The Toys)」が歌って、アメリカおよびイギリスで大ヒットし、「Billboard Hot 100」では最高2位を記録しました。

日本では特に、今日ご紹介したサラ・ヴォーン版が有名で、TVドラマ「不機嫌なジーン」の挿入歌や、天海祐希が出演するニッポンハム(日本ハム)グループCMなど、多くのメディアで使用されています。

参考にしたサイト
音楽は楽しい! : ザ・トイズ♪-気まぐれ音楽紹介 from 横浜♪
http://blogs.yahoo.co.jp/gutch15/20147634.html
ラヴァーズ・コンチェルト A Lover's Concerto-CMソング情報
http://www.cm-songs.com/food/other/a01/lovers-concerto.html