Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「パシオン(Pasion)/Buzy(ビズィー)」 - オリコン26位を記録したヒット曲!

今日は、Buzyの「パシオン(Pasion)」のご紹介です。

パシオン Pasion Buzy パシオン ビズィー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

Buzy(ビズィー、2002年 - 2006年)は、女性6人組のダンスボーカルグループです。

メンバーは、宮里真央(みやざと まお)、當山奈央(とうやま なお)、朝間ユリサ(あさま ゆりさ)、丹羽麻由美(にわ まゆみ)、岩永幸子(いわなが さちこ)、竹田侑美(たけだ ゆみ)で、メンバー全員、キャレスボーカル&ダンススクール大阪校出身です。

Buzyは、2004年3月3日に、ファーストシングルとなる「鯨」 を発売します。

2003年 - 2006年には、 Buzy としてだけではなく、同じ事務所の BOYSTYLE、Perfume、小野麻亜奈、喜友名星、名取愛加 らと共にグループ BEE-HIVE としても活動します。

Buzyは、いわゆるアイドルグループとは一線を画しており、高く評価されますが、売り上げ自体は今ひとつで、 「ラジかる!!」 に朝間ユリサが出演した際、 「鳴かず飛ばずだった」 と紹介されるといったこともありました。

2006年6月末に解散するまで、グループとして4枚のシングル、2枚のアルバムを発売しているBuzyですが、今日は2005年11月9日に発売された4枚目のシングルである「パシオン(Pasion)」をどうぞ。
 
パシオン(Pasion)/Buzy(ビズィー)

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は新藤晴一、作曲は本間昭光です。
オリコンチャートにおいて、最高順位26位を記録、登場回数は4回となっています。

またこの曲は、前述した通り、Buzyの4枚目、つまり最後のシングルで、ジャケットイラストは新藤晴一が手がけています、
当時、通常盤と初回限定盤の2種類が発売され、初回限定盤はDVD付きでした。
また、この曲のPVの監督は前畑貴文で、小松彩夏が出演していますが、メンバーは一切出演していません。

なお、Buzyの前身は、1998年に宮里真央、當山奈央、丹羽麻由美、門田こむぎの4人で結成された「COLOR」というバンドです。

「ラヴァーズ・コンチェルト/サラ・ヴォーン」 - ドラマ「不機嫌なジーン」挿入歌 天海祐希出演のニッポンハムグループCM曲

今日は、サラ・ヴォーンの「ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover's Concerto)」のご紹介です。

ラヴァーズ・コンチェルト サラ・ヴォーン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan, 1924年3月27日 - 1990年4月3日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアーク出身の黒人女性ジャズボーカリストです。

サラ・ヴォーンは、コントラルト(contralto、=女性の最低音域)からソプラノまでの幅広い声域に、美しいヴィブラートの掛かった、オペラ歌手にも匹敵する声と、豊かな声量を兼ね備えた、大胆なフェイク(=原曲のメロディを即興で変えて歌ったり演奏すること)やスキャットを取り入れた歌唱力をも持ち味とした歌手です。
ジャズ・ボーカル史上、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人と言われています。

サラ・ヴォーンのデビューは1940年代で、1947年に歌った「It's Magic」が初めてのヒット曲となり、大型新人として注目を集めます。

ジャズに留まらない幅広い音楽性を持ち、ポップスにも挑戦して、1950年代には「Whatever Lola Wants」や「roken-heated Melody」などのいくつかのヒット曲がありますが、これらは商業的に大きな成功をするには至らず、通俗性ゆえに批評家からは冷淡な扱いを受けます。

1960年代には、ビートルズのカバーや、1965年に発表し日本では特に知られている「ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover's Concerto)」も発表します。

今日はその、「ラヴァーズ・コンチェルト」をどうぞ。
 ラヴァーズ・コンチェルト/サラ・ヴォーン

この曲の歌詞はこちら

昔のことですが、私は最初、ラジオから流れてくるこの曲を聴いたとき、てっきり「男性」が歌っているのかと…。(^o^;
まぁ、声がふくよかで、けっこうキーが低いですからねぇ。

ちなみに、この「ラヴァーズ・コンチェルト」の歌詞の内容は、好きな彼氏と一生別れたくないという恋する女性の純真な気持ちを歌ったものです。


「♡愛してるっチ」「♡あたしもっチ」

また、お気づきの方も多いかと思いますが、この曲の原曲はクラシックです。
正確には、J・S・バッハの「アンナ・マグダレーナ・バッハの(ための)音楽帳」のメヌエットで、「ラヴァーズ・コンチェルト」は、この曲をモチーフにしてポップス風に編曲してできたものです。

アンナ・マグダレーナ・バッハというのは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの後妻で、ドイツの声楽家、作曲家です。

1965年に、アメリカのソングライター、サンディー・リンザー(Sandy Linzer)とデニー・ランデル(Denny Randell)が詩をつけたものをガール・グループ、「ザ・トイズ(The Toys)」が歌って、アメリカおよびイギリスで大ヒットし、「Billboard Hot 100」では最高2位を記録しました。

日本では特に、今日ご紹介したサラ・ヴォーン版が有名で、TVドラマ「不機嫌なジーン」の挿入歌や、天海祐希が出演するニッポンハム(日本ハム)グループCMなど、多くのメディアで使用されています。

参考にしたサイト
音楽は楽しい! : ザ・トイズ♪-気まぐれ音楽紹介 from 横浜♪
http://blogs.yahoo.co.jp/gutch15/20147634.html
ラヴァーズ・コンチェルト A Lover's Concerto-CMソング情報
http://www.cm-songs.com/food/other/a01/lovers-concerto.html

「若き獅子たち/西城秀樹」 - オリコン4位&「第15回日本レコード大賞」歌唱賞を受賞したヒット曲!

今日は、西城 秀樹の「若き獅子たち」のご紹介です。

若き獅子たち 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。

そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

今日は、1976年9月5日に発売された通算18枚目のシングルである「若き獅子たち」をどうぞ。
 
若き獅子たち/西城秀樹

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位4位、1976年度年間61位を記録しています

この曲は、阿久悠作詞、三木たかし作曲という、いわばスーパーコンビが世に送り出した壮大なバラードです。
それを、カッコいい西城秀樹が歌うわけですから、素晴らしくないわけがありません。
もう、たまりませんねー。(^o^)

ちなみに西城秀樹は、「NHK紅白歌合戦」において、1974年から1984年の「抱きしめてジルバ」まで11年連続出場を果たし、「日本レコード大賞」においては1976年の「若き獅子たち」により3度目の歌唱賞を受賞します。

また、金賞は1978年の「ブルースカイブルー」から1983年の「ギャランドゥ」まで、6年連続受賞します。

くわえて、「ザ・ベストテン」においては、番組の放送を開始した1978年の「ブーツをぬいで朝食を」から1986年の「腕の中へ」まで22曲登場という快挙を成し遂げました。

これらのことから、当時、西城秀樹がいかに人気があったかということが伺えます。

ちなみに、「獅子」のつく名曲としては、松崎しげるの「地平を駈ける獅子を見た」があります。
こちらは、日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する埼玉西武ライオンズの球団歌として有名ですね。
 

「地平を駈ける獅子を見た/松崎しげる」 - 埼玉西武ライオンズ球団歌|Super源さんの音楽ブログ


今日は、松崎しげるの「地平を駈ける獅子を見た」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日


お時間が許せば、こちらもどうぞ。( ^-^)/