Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ノー・オーディナリー・ラブ(No Ordinary Love)/シャーデー(Sade)」 - 全英チャート14位を獲得したヒット曲

今日は、シャーデーの「ノー・オーディナリー・ラブ(No Ordinary Love)」のご紹介です。

ノー・オーディナリー・ラブ シャーデー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シャーデー(Sade)は、女性ボーカルとバックミュージシャンから成る、イギリスのバンドです。

メンバーは、Sade Adu(シャーデー・アデュ 女性ボーカリスト)、Paul Spencer Denman(ベース)、Andrew Hale(キーボード)、Stuart Matthewman(ギター・サックス等)です。

シャーデーは、1984年にデビューをします。第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを背景にしたアルバム「Diamond Life(ダイアモンド・ライフ)」は、祖国のイギリスのみならず米国などでもヒットし、翌年の米グラミー賞最優秀新人賞に輝きます。

シャーディーの特徴は、ジャズとアダルト・コンテンポラリーをミックスしたサウンドと、アデュの落ち着いたミステリアスなボーカルで、発表した作品数はそれほど多くはないものの、いずれも世界的なヒットとなっています。

1994年からは、アデュを除くメンバー3人が、「Sweetback(スウィートバック)」という名前で活動を始めます。

デビュー当初のジャズやソウルの系統のサウンドから、「Lovers Rock(ラバーズ・ロック)」以降はブルースやフォークの影響を感じさせるギター中心のサウンドに変化しており、くわえて、アデュがジャマイカに移住したこともあってレゲエの影響をも受けています。

今日は、1992年に発売されたシャーデーの4枚目のスタジオ・アルバム「Love Deluxe(ラブ・デラックス)」からシングルカットされた「ノー・オーディナリー・ラブ(No Ordinary Love)」をどうぞ。
 
ノー・オーディナリー・ラブ(No Ordinary Love)/シャーデー(Sade)

この曲の歌詞(含訳詩)はこちら

ちなみに、シャーディーは、1994年に、この「ノー・オーディナリー・ラブ」でグラミー賞を受賞しています。

"No Ordinary Love" is the lead single from the English band Sade's fourth studio album, Love Deluxe (1992). Released in 1992 on Epic Records, it peaked at number 26 in the UK when originally released in October 1992, but reached number 14 when re-released in June 1993. Sade Adu is dressed as a mermaid and a bride in the music video. "No Ordinary Love" is often considered Sade's signature song, alongside 1988's "Paradise" and 1984's "Smooth Operator."
(「ノー・オーディナリー・ラブ」は、1992年10月に発売されたシャーデーの4枚目のスタジオ・アルバム「Love Deluxe(ラブ・デラックス)」からシングルカットされた曲で、全英チャートにおいて26位を獲得。そして、翌年の1993年に再発売された際には14位を獲得しています。この曲のプロモーションビデオでは、シャーディーは人魚と花嫁に扮しています。「ノー・オーディナリー・ラブ」はしばしば、1988年発売の「パラダイス」、1984年発売の「スムース・オペレーター」とともに、シャーディーのテーマ音楽と考えられています)

No Ordinary Love より抜粋
https://en.wikipedia.org/wiki/No_Ordinary_Love


おっ!(゚o゚)ふと気づいたら、ここ「Super源さんの音楽ブログ」での名曲紹介数が、この曲でちょうど400曲になってる!
よし、それでは…、今日から紹介曲数2000曲を新目標として、これからもいい曲をガンガン紹介していくぞー。(^O^)/オー!

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「セクシー・バス・ストップ/浅野 ゆう子」 - オリコン週間12位を記録! 浅野ゆう子最大のヒット曲!

今日は、浅野 ゆう子の「セクシー・バス・ストップ」のご紹介です。

セクシー・バス・ストップ 浅野 ゆう子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

浅野 ゆう子(あさの ゆうこ、本名: 赤沢 裕子、1960年7月9日 -)は、兵庫県神戸市の女優、歌手です。


写真は、こちらからお借りしました。

浅野 ゆう子は、当初アイドル歌手としてデビューし、「ジャンプするカモシカ」をキャッチフレーズに活動します。

デビュー曲は、1974年05月25に発売された「とびだせ初恋」です。
その後、「恋はダン・ダン」「ひとりぼっちの季節」とシングルを発売していきます。

が、当時の女性アイドルは小柄であることが好ましいとされており、浅野ゆう子のように長身で日本人離れしたプロポーションのアイドルは珍しい存在でした。くわえて、ミニスカートやホットパンツなどでスタイルを強調していた浅野ゆう子は女性からの反撥を受けたこともあり、アイドル歌手としてはうまくいきませんでした。

そんな中、1976年04月25日に発売された8枚目のシングル「セクシー・バス・ストップ」が大ヒット。浅野ゆう子自身最大のヒット曲となります。

歌を実質休業状態になった1980年代からは、様々な会社の水着キャンペーンモデルなど企業広告で活躍。ただし、水着での初出は1979年(昭和54年)のカネボウ化粧品CF「一気にこの夏チャンピオン」からで、1981年の洋酒の悩殺ポスターは、世の男性の目を楽しませます。

今日はその、1976年4月25日に発売された通算8枚目のシングルであり、最大のヒット曲でもある「セクシー・バス・ストップ」をどうぞ。
 
セクシー・バス・ストップ/浅野ゆう子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、もともとインストゥルメンタルだった作品に、新たに歌詞を付けて浅野ゆうこに歌わせたものです。

歌詞をつけた作品を浅野ゆう子に歌わせるというアイデアは、日音の村上司によるものです。
この曲の作曲者である筒美京平は、当初、

「インストゥルメンタルとして書いた作品だから…」

と、これに難色を示していましたが、村上とディレクターの岡村右との話し合いにより納得。
作詞は、筒美京平の要望により、橋本淳が担当することになりました。

また、このシングルのB面には、いしだあゆみの最大のヒット曲である「ブルー・ライト・ヨコハマ」のカバーバージョンが収録されています。

この浅野ゆうこのカバー盤は、チャートTOP10近くまで上昇する大ヒットとなり、自己最高セールスを記録することになります。

そう言えば、1972年に平浩二が歌っってヒットした「バスストップ」という曲もありましたね。似ていて、ちょっと紛らわしい曲名です。【><】
 

「バスストップ/平浩二」 - 明治チョコレートCMソング|Super源さんの音楽ブログ


以前、ノースリーブスの「バスストップ」をご紹介しましたが、今日は、平浩二の同名異曲をご紹介したいと思います。 写真は、こちらからお借りしました。平 浩二(たいら こうじ、本名:平頼敏(たいら


こちらも名曲なので、お時間が許せばどうぞお聴きになってみてください。(^^)

紛らわしいといえば、英単語のadaptとadoptもスペルが似ていて紛らわしいですね。

ナンノ コッチャ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

浅野ゆう子のエピソード

浅野ゆう子の憧れの女優は、野際陽子です。
また、野際陽子も浅野ゆう子を評価しており、自身が多くのドラマで幾度となく演じた姑役(しゅうとめやく)について、「私の後(の姑役)は、浅野ゆう子さんにでもお願いしようかしらね。」と、浅野を後継者にしたいと語っています。

浅野ゆう子は、俳優として駆け出しで、なかなか仕事に恵まれなかった頃の唐沢寿明に、「爽やかな路線でいってみてはどうか?」とアドバイスした結果、後のブレイクにつながったとして、「(浅野は)私の恩人」と著書で評されています。

2014年11月2日の早朝、自宅で当時交際中だった俳優の田宮五郎がクモ膜下出血で倒れ、浅野ゆう子に看取られて11月6日未明に死去しました。

浅野ゆう子は、デビュー当時は「脚の長さ99センチ」と騒がれ、一部のマスコミから「股下99センチ」、また、「股下1メートル」とまでいわれましたが、『明星』誌上で、読者からの「そんなにないのでは?」という質問に「股下ではないんです。腰骨から下が99センチなんです。ホントなのよ。信じてくださいね」と答えています(デビュー時は身長165 cm)。この「腰骨下の長さ」は、年を経るにつれて101 cm、はては107 cmまで伸びたと報じられました。

この、浅野ゆう子の股下の長さに関しては『月刊プレイボーイ』に81.5 cmと書かれましたが、他誌には83 cmと書かれたこともあります。


ゆうちゃん



浅野ゆう子って、自分の足の長さを自負していたんだね


しんちゃん



そうなんだよ
岡田晋吉は、『太陽にほえろ!伝説 増補決定版』で、「まだ十代の浅野ゆう子が『お茶くみさん』として出演している。彼女が石原裕次郎に会っての第一声が『あら、私のほうが股下が長い』だった。石原さんは目を白黒させていた。」と記しています。

浅野ゆう子は、デビュー間もない頃の『うわさのチャンネル』に出演中、和田アキ子やせんだみつお達に、足の長さを冷やかされ思わず意味もわからず、「私、どて高なんです」と発していたことがあります。
また同番組では、「むすんでひらいて」を歌唱中に「またひらいて」の歌詞の所で浅野一人だけが騙され、大きく股を開いてしまいました。

スタイリストの三宅由美子は、浅野ゆう子について、「困ることもあるんです。まず、脚が長すぎること。既製品のパンツは短すぎてダメなんです」と語っています。

「ウォーク・オン・バイ/ディオンヌ・ワーウィック」 - のちに「小さな願い」「サンホセへの道」等のヒットを連発するディオンヌ・ワーウィックのブレイク曲!

今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「ウォーク・オン・バイ(Walk On By)」のご紹介です。

ウォーク・オン・バイ ディオンヌ・ワーウィック ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学時、主専攻で音楽教育、副専攻でピアノを専攻します。そして、ニューヨークのレコーディングスタジオでバックコーラスやデモ歌手などをしていましたが、そんな時に作曲家のバート・バカラックと出会います。
そして、大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年に歌手デビューをします。

翌年の1964年に、「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、それから3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」がヒットしてからは、「サンホセへの道」、「恋にさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放っていきます。
 
「サンホセへの道/ディオンヌ・ワーウィック」 - 1968年の女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞受賞曲 歌詞の意味は?|Super源さんの音楽ブログ

「サンホセへの道/ディオンヌ・ワーウィック」 - 1968年の女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞受賞曲 歌詞の意味は?|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ディオンヌ・ワーウ


「恋よさようなら(I’ll never fall in love again)/ディオンヌ・ワーウィック」 - グラミー賞最優秀女性歌唱賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ

「恋よさようなら(I’ll never fall in love again)/ディオンヌ・ワーウィック」 - グラミー賞最優秀女性歌唱賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「恋よさようなら(I'll never fall in love again)」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。ディオンヌ・ワーウィック


さて今日は、そのブレイクのきっかけとなった「ウォーク・オン・バイ」をどうぞ。
 
ウォーク・オン・バイ(Walk On By)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、ディオンヌ・ワーウィックは、2013年3月21日、ニュージャージー州の破産裁判所に自己破産を申請しています。負債総額は1070万ドル余りです。