Super源さんの音楽ブログ

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「関白宣言/さだまさし」 - 160万枚を売上げミリオンセラーを記録したさだまさし最大のヒット曲!

今日は、さだまさしの「関白宣言」のご紹介です。

関白宣言 さだまさし ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

さだまさし(本名:佐田雅志)は、長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家です。

さだまさしは、1972年に、二人組のフォークデュオ「グレープ」でデビューし、「精霊流し(1974年)」のヒットで全国にその名を知られるようになります。

ソロシンガーになってからも「雨やどり」、「関白宣言」、「道化師のソネット」、「防人の詩 」、「親父の一番長い日」、「北の国から~遥かなる大地より~」などの数々の曲を生み出していきます。

今日は、1979年7月10日に発売された、シングル盤ではさだまさしの最大のヒット作であり、約160万枚というミリオンセラーを記録する大ヒットとなった「関白宣言」をどうぞ。
 
関白宣言/さだまさし

1979年に、さだまさしはこの曲で『第30回NHK紅白歌合戦』に出演しました。

「関白宣言」が生まれたきっかけ

ちなみにこの曲は、さだまさしが当時通っていた京都・先斗町のスナック「鳩」のママに、

「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はん、しっかりしとくれやっしゃ。お師匠はん、そういう歌を作っとくれやっしゃ」

と、言われたことがきっかけで生まれた作品です。

そのため、あえて男が強気な内容の歌詩となっているわけで、この曲をもって、さだまさしが亭主関白であると解釈するのは間違いです。

そもそも、さだまさし自身、「こんなのが売れるとは思ってなかった」と述べていますし、近年では「男は女の付属品です」とも言っています。

この作品は、1979年5月28日に、大分文化会館でのコンサートが始まるまでの合間を縫って、一気に書き上げられました。
コンサートで発表された当初のタイトルは「王手」で、副題が「関白宣言」でしたが、レコード化される際に、副題の方が昇格して正式なタイトルになりました。

なお、この楽曲を元にした、同タイトルの映画作品もあります。

【パパの悩み】
パパの悩み

「わたしの城下町/小柳ルミ子」 - オリコン週間1位を独走! 160万枚を売り上げたデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、小柳ルミ子の「わたしの城下町」のご紹介です。

わたしの城下町 小柳 ルミ子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

小柳ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳留美子、1952年7月2日 -)は、福岡県福岡市早良区出身の歌手、女優です。別名:rumico。愛称:ルミちゃん。

小柳ルミ子は、1971年(昭和46年)4月25日に、ワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約し、作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューをします。この曲は、160万枚を売り上げ大ヒットとなり、同年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録。また、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞します。

そしてその後は、「お祭りの夜」「雪あかりの町」「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」「漁火恋唄」と、ヒットを飛ばしていきます。

今日はその、デビュー曲「わたしの城下町」をどうぞ。
 
わたしの城下町/小柳ルミ子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、「みんなの恋人」というキャッチフレーズでデビューした小柳ルミ子のファースト・シングルです。
国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行も手伝い、デビュー・シングルながらオリコンチャートにおいて、発売後通算12週にわたって週間1位を独走しました。
この記録は2016年現在、ソロの女性歌手では歴代1位の記録で、未だ破られていません。

そしてこの曲は、その後も順調に売れ続けた結果、1971年の年間シングルチャートで第1位となりました。
くわえて、翌年1972年の年間シングルチャートにおいても第45位にランクされています。

1971年暮れの音楽賞レースでは、6月に「17才」でデビューの南沙織とともに『第2回日本歌謡大賞』の放送音楽新人賞や『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞など、数々の新人賞を受賞しています。

小柳ルミ子はこの曲で、大晦日には『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場。
そして、同時期にデビューした南 沙織天地真理らと共に 「三人娘」と称されるに至ります。

小柳ルミ子 シングル売上げTOP20

なお、小柳ルミ子のシングル売上げTOP20は以下の通りです。

売上げ順位曲名発売日最高順位
1わたしの城下町1971年04月25日1
2瀬戸の花嫁1972年04月10日1
3京のにわか雨1972年08月10日1
4冬の駅1974年10月10日1
5星の砂1977年04月25日2
6お祭りの夜1971年09月10日2
7お久しぶりね1983年07月21日8
8漁火恋唄1972年11月10日3
9春のおとずれ1973年02月25日4
10雪あかりの町1972年01月25日5
11恋にゆれて1973年05月25日4
12十五夜の君1973年08月10日8
13逢いたくて北国へ1976年09月25日15
14ひと雨くれば1975年05月25日15
15花 車1975年09月10日20
16花のようにひそやかに1974年03月10日14
17恋の雪別れ1973年11月10日15
18湖の祈り1977年08月25日18
19黄昏の街1975年02月25日12
20来夢来人1980年01月25日22
出典:https://www.oricon.co.jp/prof/218991/rank/single/

「さよならの物語/堀ちえみ」 - オリコン最高8位!18.7万枚の売上げを記録した堀ちえみ最大のヒット曲!

今日は、堀ちえみの「さよならの物語」のご紹介です。

さよならの物語 堀ちえみ ジャケットイメ-ジ
写真は、こちらからお借りしました。

堀ちえみ(ほりちえみ、本名:尼子 智栄美(あまこ ちえみ) 旧姓、堀 1967年2月15日 -)は、大阪府堺市東区出身の歌手、女優、タレントです。

堀ちえみは、1981年に開かれた第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの優勝がきっかけで芸能界入りし、1982年に「潮風の少女」で歌手デビューをします。
 

「潮風の少女/堀ちえみ」 - 後に「スチュワーデス物語」主演で脚光を浴びる堀ちえみのデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、堀ちえみの「潮風の少女」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 堀ちえみ(ほりちえみ、1967年2月15日 -)は、大阪府堺市東区出身の歌手、女優、タレントで、本名は加藤


その翌年の1983年、TBSで放送されたドラマ「スチュワーデス物語」の主演で脚光を浴び、「教官!」「ドジでノロマな亀」のセリフは当時の流行語となり、 翌1984年に新語・流行語大賞にノミネートされ、大衆賞を受賞しました。

2001年には、14年ぶりにシングル「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ -サウスウインド-」を発売。2005年から歌手活動を本格的に再開し、大阪(9月17日)・東京(9月24日)で、18年ぶりのソロコンサート「青春の忘れ物」を行ないます。
そこでは、タップダンスなどのダンスパフォーマンスを披露しました。

今日は、そんな堀ちえみのヒット曲の中から、1983年1月21日に発売された通算5枚目のシングルである「百物語」、じゃなかった「さよならの物語」をどうぞ。
 
さよならの物語/堀ちえみ

この曲の歌詞はこちら

「ねえ、百物語を始めてもいい?」
百物語を始めようとする女
こ、こわいよー!w(゚o゜)w

この曲は、オリコンチャートにおいて、堀ちえみ自身初めて週間10位以内(最高8位)に入り、18.7万枚の売上げを記録、かつ最大のヒット曲となりました。

さらに、TBSテレビ系『ザ・ベストテン』及び日本テレビ系列『ザ・トップテン』にも、堀ちえみ自身初めて同時に10位以内のランクインを果たしました。

なお、堀ちえみの芸名は、本名の「智栄美」を平仮名表記にしたもので、実子5人、現夫の連れ子2人の計7人の子がいる「芸能界一の子だくさん」としても知られています。