Super源さんの音楽ブログ

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「恋してカリビアン/荻野目 洋子」 - 本人出演の花王「ビオレU」CMソング、ドラマ「もーれつア太郎」主題歌

今日は、荻野目 洋子の「恋してカリビアン」のご紹介です。

恋してカリビアン 荻野目 洋子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

荻野目 洋子(おぎのめ ようこ 本名:辻野 洋子(つじの ようこ、旧姓:荻野目、1968年 12月10日 - )は、千葉県柏市出身の歌手、女優です。女優の荻野目慶子は、実姉。
代表曲は、1985年11月21日に発売された「ダンシング・ヒーロー」。
 

「ダンシング・ヒーロー/荻野目洋子」 - 33万枚を売上げ、オリコン5位を記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 「ダンシング・ヒーロー」は、1985年11月21日に発売された、アイドル歌手荻野目洋子の7枚目


荻野目 洋子は、小学4年生の頃、テレビ番組「ちびっこ歌まねベストテン」に出演し、チャンピオンになったことでスカウトされ、芸能界デビューをします。
そして、1979年4月に、小畑和美(ミミ)、荻野目洋子(ルミ)、大森絹子(クミ)による小学生女子3人グループ、「ミルク」として、「ザ・あれから いちねん」でレコードデビューをします。

「ミルク」は、翌年の1980年8月に、2枚目のシングル「リトル・キッス」を発売後自然解散となり、彼女の小学生時代の芸能活動も、ここでいったん終了となります。
 

「リトル・キッス/ミルク」 - 小学生3人(小畑和美、荻野目洋子、大森絹子)によるアイドルグループの2hdシングル|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ミルクの「リトル・キッス」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。「ミルク」は、1979年から1980年にかけて活動した、小学生女子3人によるアイドルグループです。メン


その後、中学生時代に、キティ・フィルム製作の映画「ションベン・ライダー」のオーディションを受けたのがきっかけで、1983年にキティ・フィルム製作のフジテレビ系のアニメ「みゆき」のヒロイン若松みゆき役の声優として活動。

「みゆき」の終了後、高校生になったばかりの1984年4月3日には、「未来航海-Sailing-」でビクター音楽産業よりソロデビュー。その後も、シングル・アルバムを発売し、多くのテレビやイベントなどに出演します。

今日は、1985年5月21日に発売された、通算5枚目のシングルである「恋してカリビアン」をどうぞ。
 
恋してカリビアン/荻野目洋子

この曲の歌詞はこちら

この曲のオリコンチャートの最高位は24位でしたが、この曲のメロディはその後、プロ野球の西武ライオンズ・秋山幸二、サッカーのセレッソ大阪・森島寛晃、浦和レッズ・大柴健二、大宮アルディージャ・長谷川アーリアジャスールなどの応援歌に流用され、日本の高校野球でも定番応援歌として使用されています。

またこの曲は、荻野目洋子本人が出演した花王「ビオレU」のCMソングで、このCMはグアムでロケが行なわれました。
また、荻野目洋子本人が出演したフジテレビ系ドラマ「もーれつア太郎」(月曜ドラマランド)の主題歌でもありました。



「関白宣言/さだまさし」 - 160万枚を売上げミリオンセラーを記録したさだまさし最大のヒット曲!

今日は、さだまさしの「関白宣言」のご紹介です。

関白宣言 さだまさし ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

さだまさし(本名:佐田雅志)は、長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家です。

さだまさしは、1972年に、二人組のフォークデュオ「グレープ」でデビューし、「精霊流し(1974年)」のヒットで全国にその名を知られるようになります。

ソロシンガーになってからも「雨やどり」、「関白宣言」、「道化師のソネット」、「防人の詩 」、「親父の一番長い日」、「北の国から~遥かなる大地より~」などの数々の曲を生み出していきます。

今日は、1979年7月10日に発売された、シングル盤ではさだまさしの最大のヒット作であり、約160万枚というミリオンセラーを記録する大ヒットとなった「関白宣言」をどうぞ。
 
関白宣言/さだまさし

1979年に、さだまさしはこの曲で『第30回NHK紅白歌合戦』に出演しました。

「関白宣言」が生まれたきっかけ

ちなみにこの曲は、さだまさしが当時通っていた京都・先斗町のスナック「鳩」のママに、

「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はん、しっかりしとくれやっしゃ。お師匠はん、そういう歌を作っとくれやっしゃ」

と、言われたことがきっかけで生まれた作品です。

そのため、あえて男が強気な内容の歌詩となっているわけで、この曲をもって、さだまさしが亭主関白であると解釈するのは間違いです。

そもそも、さだまさし自身、「こんなのが売れるとは思ってなかった」と述べていますし、近年では「男は女の付属品です」とも言っています。

この作品は、1979年5月28日に、大分文化会館でのコンサートが始まるまでの合間を縫って、一気に書き上げられました。
コンサートで発表された当初のタイトルは「王手」で、副題が「関白宣言」でしたが、レコード化される際に、副題の方が昇格して正式なタイトルになりました。

なお、この楽曲を元にした、同タイトルの映画作品もあります。

【パパの悩み】
パパの悩み

「わたしの城下町/小柳ルミ子」 - オリコン週間1位を独走! 160万枚を売り上げたデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、小柳ルミ子の「わたしの城下町」のご紹介です。

わたしの城下町 小柳 ルミ子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

小柳ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳留美子、1952年7月2日 -)は、福岡県福岡市早良区出身の歌手、女優です。別名:rumico。愛称:ルミちゃん。

小柳ルミ子は、1971年(昭和46年)4月25日に、ワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約し、作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューをします。この曲は、160万枚を売り上げ大ヒットとなり、同年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録。また、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞します。

そしてその後は、「お祭りの夜」「雪あかりの町」「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」「漁火恋唄」と、ヒットを飛ばしていきます。

今日はその、デビュー曲「わたしの城下町」をどうぞ。
 
わたしの城下町/小柳ルミ子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、「みんなの恋人」というキャッチフレーズでデビューした小柳ルミ子のファースト・シングルです。
国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行も手伝い、デビュー・シングルながらオリコンチャートにおいて、発売後通算12週にわたって週間1位を独走しました。
この記録は2016年現在、ソロの女性歌手では歴代1位の記録で、未だ破られていません。

そしてこの曲は、その後も順調に売れ続けた結果、1971年の年間シングルチャートで第1位となりました。
くわえて、翌年1972年の年間シングルチャートにおいても第45位にランクされています。

1971年暮れの音楽賞レースでは、6月に「17才」でデビューの南沙織とともに『第2回日本歌謡大賞』の放送音楽新人賞や『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞など、数々の新人賞を受賞しています。

小柳ルミ子はこの曲で、大晦日には『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場。
そして、同時期にデビューした南 沙織天地真理らと共に 「三人娘」と称されるに至ります。

小柳ルミ子 シングル売上げTOP20

なお、小柳ルミ子のシングル売上げTOP20は以下の通りです。

売上げ順位曲名発売日最高順位
1わたしの城下町1971年04月25日1
2瀬戸の花嫁1972年04月10日1
3京のにわか雨1972年08月10日1
4冬の駅1974年10月10日1
5星の砂1977年04月25日2
6お祭りの夜1971年09月10日2
7お久しぶりね1983年07月21日8
8漁火恋唄1972年11月10日3
9春のおとずれ1973年02月25日4
10雪あかりの町1972年01月25日5
11恋にゆれて1973年05月25日4
12十五夜の君1973年08月10日8
13逢いたくて北国へ1976年09月25日15
14ひと雨くれば1975年05月25日15
15花 車1975年09月10日20
16花のようにひそやかに1974年03月10日14
17恋の雪別れ1973年11月10日15
18湖の祈り1977年08月25日18
19黄昏の街1975年02月25日12
20来夢来人1980年01月25日22
出典:https://www.oricon.co.jp/prof/218991/rank/single/