Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「夢まで500マイル/加藤久仁彦」 - 「狩人」の兄・加藤久仁彦のソロ曲

今日は、加藤 久仁彦の「夢まで500マイル」のご紹介です。

加藤 久仁彦(かとう くにひこ、本名:邦彦 1956年9月19日 -)は、愛知県岡崎市出身の歌手、俳優、作詞家、作曲家です。
2014年に、ローザンヌ国際バレエコンクールにおいて、6位に入賞した加藤三希央(かとう みきお)は次男。

加藤 久仁彦は、弟の加藤高道とともに兄弟デュオ・「狩人」として活動していますが、平成10年には俳優としてもデビューしています。
また、作詞家・作曲家として活動するときには、加藤久仁彦名義の他に、本名及び「かとう邦彦」の名義も用いています。

2007年12月31日に、狩人を一旦解散。2008年以降は、本来の歌手業に加えて、幼少時代から歌手と並んでもうひとつの夢だったアマチュアボクサーとしても活動を開始します。

また、2010年からは、森田公一の抜けたトップギャランに、リードボーカルとして加入。「加藤久仁彦&トップギャラン」としての活動も開始します。

2012年7月には、5年ぶりに狩人の再結成を発表。同年のの8月18日に、NHKテレビ「思い出のメロディー」で「あずさ2号」を歌唱し、その後は、狩人と同時にソロ活動も平行して行なっています。

今日は、そんな加藤久仁彦の曲の中から、「夢まで500マイル」をどうぞ。
夢まで500マイル/加藤久仁彦


狩人解散、兄はボクサー弟は人材派遣業へ
 「あずさ2号」のヒットで知られる兄弟デュオ、狩人が今年限りで解散することが26日、発表された。都内で会見した兄の加藤久仁彦(50)と弟の高道(47)は「狩人という名前があると甘えちゃうので、ソロという厳しい環境でもまれてみようと思う」とソロ転身を決めた。
 2人は長年の夢に挑戦する。久仁彦はボクシング。「実は子どものころから、ボクサーか歌手になりたかった。ジムに通っていたこともあるんです」と、ジムワークを再開。37歳の年齢制限があるためプロにはなれないが、リングに上がる日を目指す。ビジネス界への意欲を持っていた高道は、歌手の人材派遣業に進出する。「人材登録をして、歌う場のない人にその場を提供したい」。
 ラストイヤーを飾るため、夏にはファイナルコンサートを行い、冬にはディナーショーで全国を回る予定だ。当初は昨年のデビュー30周年の節目で解散するつもりだった。しかし、新曲「磐越西線」を作曲した市川昭介氏(享年73)が9月に亡くなったことから、1年延期していた。
 「あずさ2号」から兄弟で走り続けたが、それぞれの夢に向かって旅立つ。
 (日刊スポーツ 2007年4月27日9時42分配信)

トラ羽のTV日記
http://www.geocities.jp/torabane/tv35.htm


ローザンヌ国際バレエコンクール6位!加藤三希央(みきお)さんまとめ
福島県出身の加藤三希央(みきお)さん(18)が、スイスで開かれた第42回ローザンヌ国際バレエコンクールで6位入賞を果たしました。父親は「あずさ2号」で知られる兄弟デュオ「狩人」の兄、加藤久仁彦(57)さんです!

「第42回ローザンヌ国際バレエコンクール」で1、2位に輝いたダンサーとともに、6位に入賞した福島県出身の加藤三希央(みきお)さん(18)に注目が集まっています。

クラシック、コンテとも成熟した踊りを見せてくれた加藤さん。モナコのバレエススクールで学んでおり、「学校の代表として参加しているというプレッシャーがあった。でも、ローザンヌではとにかく楽しく踊りたいと思っていて、今日は特にコンテが楽しく踊れたので満足しています」と話す。


加藤三希央

2014.8.26 NAVERまとめ 更新日: 2014年02月10日
http://matome.naver.jp/odai/2139147059591329501


主な楽曲
・ブラボー!ムッシュ・ルモンド(愛・地球博イメージソング)
・輝く星(作詞・作曲も担当)
・ワインカラーの別れ (作曲)2015年
・現世の涙 (作曲)2015年
加藤久仁彦名義で作曲された主な楽曲
・夢よひらけ
・どんポイ! (Don't Poi!)
かとう邦彦名義で作詞若しくは作曲された主な楽曲
・セピア色の風
・メローな夜
・戻らぬ夜(作曲のみ)
・夢をのせて


500マイルといえば、藤原さくらの「500マイル」もいいですね。(^-')
以下に、動画を貼りつけておきます。
 
藤原さくら「500マイル」サンシャインシティ 噴水広場

この曲の歌詞はこちら

声というか歌い方が、ももちひろこに似ていますね。

「淋しい熱帯魚(さみしいねったいぎょ)/Wink」 - 「愛が止まらない~Turn it into love~」に次ぐ54.873万枚の売上げを記録したヒット曲!

今日は、Winkの「淋しい熱帯魚」のご紹介です。

淋しい熱帯魚 Wink ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、鈴木早智子(すずきさちこ)と相田翔子(あいだしょうこ)の2人による、女性アイドル・ポップス・ユニットです。

Winkは、1988年に結成され、同年4月「Sugar Baby Love(シュガー・ベイビー・ラブ)」でレコードデビューをします。
そして、翌年の1989年、「愛が止まらない~Turn It Into Love~」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(上期)を受賞。同年「淋しい熱帯魚」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(年間)、第31回日本レコード大賞を受賞。さらにまた、同曲で「第40回NHK紅白歌合戦」に出場します。
 

「愛が止まらない~Turn It Into Love~/Wink」 - 62.95万枚の売上げを記録! Winkのシングルとして初の1位を獲得したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「Wink」の「愛が止まらない~Turn It Into Love~」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。 Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期に


この曲は、Winkのオリジナル曲としては、最大のヒット曲となりました。今日ご紹介するのは、この「淋しい熱帯魚(さみしいねったいぎょ)」です。
この曲は、「アマリリス」以来10ヶ月ぶりとなるWinkのオリジナル(非カバー曲)です。
それまで洋楽のカバーを歌ってきたWinkにとって、この曲は初のオリジナルでのヒットとなり、またこの曲には、通称「大魔神ポーズ」と呼ばれる振りつけがあります。

「淋しい熱帯魚」は、オリコン初登場1位を獲得し、100位以内にに25週連続ランクインします。
また、1989年のオリコン年間ランキングは7位、「愛が止まらない ~Turn It Into Love~」に次ぐ売り上げとなります。

Winkは、この曲で同年12月に行なわれた「第31回日本レコード大賞」、および「第22回全日本有線放送大賞」を受賞。
くわえて、この曲で「第40回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たします。

それでは早速、1989年7月5日に発売された通算5枚目のシングルである、その「淋しい熱帯魚」をどうぞ。
 
淋しい熱帯魚(さみしいねったいぎょ)/Wink(ウィンク)

この曲は、もともと1989年4月中旬より放送されたパナソニック・ヘッドホンステレオS-TYPE(松下電器産業)のCMにWinkが出演してワンフレーズ歌ったもので、その後、「アマリリス」以来10ヶ月ぶりとなる同デュオのオリジナル曲として7月5日に発売されました。
この曲の作詞は及川眠子、作曲は尾関昌也で、編曲は船山基紀です。

この曲が発売されるまで、彼女たちが歌ってきた曲のほとんどは、洋楽のカバーでした。
それで、この曲もそうかと思いきや、実は、新規に作られたオリジナルなのです。
さすが、良くできてますよね。(o^^o)スバラシイ!

この曲は、発売から間もなく、7月17日付でオリコン初登場1位を獲得し、以後11月27日付まで100位以内に20週連続ランクイン。

また、1989年のオリコン年間ランキングでは7位にランクインし、Winkのシングルとしてはカイリー・ミノーグの楽曲のカバー「愛が止まらない~Turn it into love~」の62.95万枚に次ぐ54.873万枚の売上げを記録しています。

淋しい熱帯魚の「淋しい」の読み方は?

淋しいの読み方は 「さびしい」? 「さみしい」?

「さみしい」が正しい読み方。

タイトル「淋しい熱帯魚」の中の「淋しい」の読み方は、JASRACには「さびしい」で登録されていますが、この曲の作詞者である及川眠子(おいかわ ねこ)によるものは「さみしい」となっています。

作詞者は自著で、
 
「さびしい」ではなく「さみしい」が正しいタイトルの読み方。これを濁音(だくおん)にしてしまうと、音に重さが出てしまい、ヒラヒラ、キラキラな Wink のイメージではなくなってしまうので、わざわざ濁(にご)らないようにしているんです」
と、述べています。

また彼女は、「さびしい」を「寂しい」、「さみしい」を「淋しい」として使い分けており、なおかつ、本曲での「淋」の文字の選択については、タイトル中の「魚」にかけて”さんずい”のある「淋」を使ったともしており、当楽曲の「さみしい」という読みと「淋」の文字との選定理由が複合してもいます。

ということで、「さみしい」が正しい読み方です。

「色づく街/南 沙織」 - 「17才」でデビューした南沙織の代表曲

今日は、南 沙織の「色づく街」のご紹介です。

色づく街 南 沙織 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南 沙織(みなみ さおり、本名:篠山 明美(旧姓:内間) 1954年7月2日 -)は、沖縄県出身の元アイドル歌手です。夫は、写真家の篠山紀信。

南 沙織は、1971年の春、「ソニーのシンシア」のキャッチフレーズをもって「17才」で歌手デビューをします。
この曲は、約54万枚の大ヒットとなり、同年の1971年の暮れの「第13回日本レコード大賞」で新人賞を受賞します。

さらに、同年のNHK「第22回NHK紅白歌合戦」にも初出場。

また、ブロマイドの売上においても、1971年、1972年の年間売り上げ実績で第1位を獲得します。

南 沙織は、同時期にデビューした小柳ルミ子・天地真理らと共に "三人娘" と括られることもあり、当時のアイドルの代表格でした。

今日は、そんな南 沙織の1973年8月21日に発売された通算9枚目のシングルである「色づく街」をどうぞ。
 
色づく街/南 沙織

この曲の歌詞はこちら

この曲は、TV番組やラジオで秋になると流れる機会が増える曲で、南沙織自身も自分の代表曲のひとつとコメントしているほどです。
三田寛子・高橋真梨子・水野美紀など、ベテラン歌手から新人アイドルまでさまざま歌手がレコーディングしており、デビュー曲「17才」などとともにカバーされることの多い曲です。

また、南 沙織はデビュー時は母親の郷里、鹿児島県(奄美大島)生まれとされましたが、実際には生まれも育ちも沖縄県です。
また長年、フィリピン人とのハーフであるとされてきましたが、正しくは両親ともに日本人で、母の再婚相手(義父)がフィリピン人です 。また、異父妹弟がいます。

ちなみに、2000年12月18日に放送されたNTV系「スーパーテレビ情報最前線」の企画で放送された「20世紀わが心の歌!愛と悲しみの歌姫伝説 今明かす秘めた真実」で、歌手デビュー前の松田聖子がデモ・テープとして録音した「色づく街」の音源が一部分、放送されました。その音源は、商品化されていません。