Super源さんの音楽ブログ

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「スローモーション/中森明菜」 - オリコン週間シングルチャート初登場58位を記録した、デビュー曲にしてヒット曲!

今日は、中森明菜の「スローモーション」のご紹介です。

スローモーション 中森明菜 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

中森 明菜(なかもり あきな、本名:同じ 1965年7月13日 -)は、東京都大田区生まれ、清瀬市育ちの歌手、女優です。

中森 明菜は、1982年5月1日にシングル「スローモーション」でデビューをします。
キャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。

同年7月には、ファースト・アルバム「プロローグ〈序幕〉」を発売。このアルバムは、オリコン週間アルバムランキングの10月4日付で最高位5位を記録します。

続いて発売された2枚目のシングル「少女A」は、オリコン週間シングルランキングの10月18日付で最高位5位を記録。
中森明菜は、この曲でブレイクすることになります。

そして、続いて同年11月に発売された3枚目のシングル「セカンド・ラブ」は、11月29日付の同チャートで初の週間1位を獲得。この曲は、1983年の同社年間シングルチャートで8位を記録し、約77万枚を売り上げるヒットとなります。

以降も「北ウイング」、「サザン・ウインド」、「十戒 (1984)」、「飾りじゃないのよ涙は」など次々とヒットを放ち、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で、2年連続となる日本レコード大賞を受賞。そして、1985年から1987年のレコード・セールスでは、3年連続でトップを記録します。

今日は、そんな中森 明菜の、1982年5月1日に発売されたデビュー曲である「スローモーション」をどうぞ。
 
スローモーション/中森明

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1982年7月1日発売のスタジオ・アルバム『プロローグ〈序幕〉』からの先行シングルで、1982年5月1日に発売されたものです。
シングル・レコードのライナーノーツには、「スローモーション」の楽譜が掲載され、初回盤にはカラーピンナップ付きアンケート用紙が封入されていました。

この曲は、来生えつこ・来生たかお姉弟作詞・作曲によるもので、編曲は船山基紀が手掛けています。

「スローモーション」は、オリコン週間シングルチャートの1982年5月10日付で初登場58位を記録。
その後、1982年7月26日付で最高順位30位を記録し、翌週の1982年8月2日付でも2週連続となる30位を記録します。
同チャートの100位以内においては、計39週に渡ってランクインしています。

中森明菜の近況
2010年10月に、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。
2014年8月6日に、ワーナーとユニバーサル時代の曲が収録されたオールタイム・ベストアルバム「オールタイム・ベスト -オリジナル-」と、もう1枚「オールタイム・ベスト -歌姫(カヴァー)-」が同時発売されています。

「ねえ!気がついてよ/桜田淳子」 - オリコン週間2位を記録したヒット曲!

今日は、桜田淳子の「ねえ!気がついてよ」のご紹介です。

桜田淳子 ねえ!気がついてよ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。愛称は「ジュンペイ」

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は12.1万枚を売上げ、オリコンチャートでも12位になるなど、幸先の良いスタートを切ります。
 

「天使も夢みる/桜田淳子」 - 12.1万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、桜田淳子の「白い風よ」をご紹介しましたが、今日は、「天使も夢みる」をご紹介したいと思います。 写真はこちらからお借りしました。桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月1


3枚目のシングル「わたしの青い鳥」がヒットし、この曲で第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらに、同年の大晦日には第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞にも輝きます。

今日は、そんな桜田淳子の1976年8月に発売された16枚目のシングルである、「ねえ!気がついてよ」をどうぞ。
 
ねえ!気がついてよ/桜田淳子

この曲は、オリコンチャートで週間2位、1976年度年間36位を記録しています。
ちなみにこの曲は、同年の12月に発売されたアパッチ&マイナーチューニングバンド「ソウルこれっきりですか」では、ディスコ調にアレンジされてメドレーとなっていました。

桜田淳子の近況
2007年に、歌手時代に発表した桜田淳子の全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻され、購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露しています。

2008年には、過去のライブアルバム9枚がCD化され、これに1979年にNHKで放送された「ビッグショー/桜田淳子 明日への序曲」のDVDを加えた「桜田淳子BOXスーパー・ライブ・コレクション」が発売されています。

「時に愛は/オフコース」 - オリコンで週間35位を記録したヒット曲

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「時に愛は」のご紹介です。

時に愛は オフコース ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

オフコースは、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループで、1970年に「群衆の中で」でデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

当初は、生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていましたが※1、結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが参加。
フォークソング調から、キーボード、シンセサイザーを含むバンドサウンドへと変わります。

そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得。
それ以降も、「愛を止めないで」「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、時代を代表するビッグ・グループとなります。

また、オフコースは、1982年の鈴木の脱退により一時活動を休止した後、4人での活動再開以降もヒット曲を連発し、変わらぬ人気を博します。
その後、5年近く4人で活動を続け、結成から19年目にあたる1989年に解散。その後、小田と鈴木はソロとして、また松尾、清水、大間は各々のソロ活動の傍ら1999年3月にユニット「Acoustic Beatles Club(アコースティック・ビートルズ・クラブ)」を結成します。

ファンの間で、オフコースの再結成を望む声は根強いですが、それが実現する可能性は低いと見られています。※2

曲は、そんな彼らのヒット曲の中から、1980年12月1日に発売されたオフコース通算20枚目のシングルである、「時に愛は」をどうぞ。
 
時に愛は/オフコース

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンで週間35位、1981年度年間173位を記録しています。
間奏部のギター・ソロは松尾一彦、コーダでの掛け合いは松尾、鈴木康博の順で交互に担当しています。
歌詞について小田は、

「歌の中で、崩れ落ちそうにみえた“愛”が復活するのは、そもそも“愛”というものがONとOFFを無数に繰り返す感情であることを歌ったがため」

と、インタビューで答えています。

※1.管理人による、初期のオフコースのお勧め曲はいくつかありますが、それではその中で一番はどれかと問われれば、「でももう花はいらない」になるかと思います。

「でももう花はいらない/オフコース」 - 管理人一押し! 素朴な伴奏と美しいメロディが心に残る名曲! |Super源さんの音楽ブログ


今日は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループオフコース(OFF COURSE)の、「でももう花はいらない」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。当時、一世を風靡し


※2.小田和正は、2004年10-12月放送の「風のようにうたが流れていた」で、「オフコースは学校のようなもの。学校はいずれ卒業する時が来る」と語っています。