Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「星空回線(あおぞらかいせん)/佐野量子」 - オリコン初登場33位を獲得したヒット曲 クリス松村のブログに武夫妻の近年の写真が

今日は、佐野量子の「星空回線(あおぞらかいせん)」のご紹介です。

星空回線 佐野量子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

佐野 量子(さの りょうこ、本名:武 量子(たけ かずこ、旧姓:佐野) 1968年8月22日 -)は、静岡県富士宮市出身の元タレント・歌手・女優です。
夫はJRA所属競馬騎手の武豊。義父はJRA元騎手・元調教師の武邦彦。義弟は元JRA騎手・現調教師の武幸四郎です。

佐野量子は、1984年10月、日本テレビ系ドラマ「気分は名探偵」で女優デビューします。
そして、1985年4月21日に「ファースト・レター」でRCAから歌手デビュー。
 

「ファースト・レター/佐野量子」 - 1985年に発売された、佐野量子のデビューシングル!|Super源さんの音楽ブログ


以前、佐野量子(さのりょうこ)の「蒼いピアニシモ」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。 曲名は、「ファースト・レター」です。 写真は、こちらからお借りしました。こ


その後、所属事務所の方針転換に伴い浅井企画に移籍。バラエティ番組への出演が増えていきます。

彼女の出演したバラエティー番組には、「笑っていいとも」、「おれたちひょうきん族」、「ライオンのごきげんよう」などがあります。
佐野量子はその他、映画、ドラマ、CMなどでも活躍しています。

さて、今日ご紹介する「星空回線」は、1988年3月9日に発売された、作詞・来生えつこ、作曲・来生たかおによる佐野量子の10枚目のシングルです。

それでは早速、その「星空回線」をどうぞ。( ^-^)/
 
星空回線(あおぞらかいせん)/佐野量子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコン自己最高初登場順位33位を獲得しています。
佐野量子の曲は、これまで秋元康が詞を書いていましたが、この曲は来生たかお。
彼女とっては、大変身です。
詞は、相変わらずの難解な来生ワールドさく裂! といった感じで、1番、2番とストーリー仕立てになってはいるものの、結局何を言っているのか、私の頭ではほとんど理解不能です。(?_?)

曲も、いかにも「来生節」で、A-A”-B-B”構成のシンプルな作りに綺麗なメロディーがのった曲です。

この曲で、特筆すべきはアレンジです。
2拍4拍の重量感あるスネアに、4拍目の小気味いいハンドクラップ。
パーカッションもポコポコと鳴っていて、心地よいです。(^^)

佐野量子の近況
佐野量子は、1994年12月に芸能界からの引退を宣言。
1995年にJRA騎手である武豊と結婚し、事実上芸能界を引退。
それ以後は、メディアへの出演はしていませんが、クリス松村のブログでは武夫妻の写真が掲載されています。

引用:
武豊さん、佐野量子さん夫妻と
先日、衝撃的な嬉しい出逢いがありました。
控え室の前にいると競馬の騎手、武豊さんがいらっしゃいました。
ご挨拶をして、ふと横を見ると、
見覚えのあるお顔。



1秒ほどで、それが佐野量子さんだと気づきました。
元アイドルでいらした佐野量子さんは、武豊さんの奥様です。
結婚して引退なさったので、今ではマスコミに登場されることは
あまりないと思います。
なので、凄く驚きました。

写真をご覧ください。
今でも当時と全く変わることのない、やさしい笑顔です。
ほんわか系アイドルだった頃の面影もそのままでいらっしゃいました。
武豊さんも、さすが騎手!タキシードの上からでもわかる
引き締まった体が、スポーツマンの鏡のようでした。
お二人にお会いできて本当に嬉しかったです。
(2009年10月05日)
引用終了:

武豊さん、佐野量子さん夫妻と-クリス松村オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/chris-matsumura/entry-10357893178.html

「空に星があるように/荒木一郎」 - 東海ラジオ「星に唄おう」テーマ曲 第8回日本レコード大賞新人賞を受賞したデビュー曲

今日は、荒木 一郎の「空に星があるように」のご紹介です。

空に星があるように 荒木一郎 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 -)は、東京都出身の俳優、歌手、音楽プロデューサー、小説家、マジック評論家、カードマジック研究家です。
母親は女優の荒木道子。父親は文芸評論家の菊池章一。元妻は女優の榊ひろみ。

荒木 一郎は、9歳で文学座アトリエ公演に出演し、俳優としての初舞台を踏みます。
高校時代はモダンジャズに傾倒し、バンドを組み、作詞と作曲を始めます。

1962年に、切手コレクションで第18回全日本切手展グランプリ受賞。
1963年には、青山学院高等部卒業。文学座に在籍して俳優業を開始、『バス通り裏』でデビュー。

その一方で、音楽の才能も注目されて、東海ラジオの番組「星に唄おう」のDJを務め、そのテーマ曲「空に星があるように」で、1966年にビクター音楽産業から歌手デビュー。
同年、この曲で第8回日本レコード大賞新人賞を受賞します。

音楽活動では平尾昌晃と交流があり、その縁で平尾昌晃が音楽を担当した必殺シリーズに参加することになり、「必殺仕業人」「必殺からくり人」の主題歌を作詞します。
また、「仕業人」では自ら挿入歌を歌っています。

マジック評論家としては、1998年に設立されたマジックサークル「プリンあらモードMagic Club」の会長を務め、またマジックに関する著書も執筆しています。
くわえて、趣味の将棋は、四段という実力の持ち主です。

今日は、そんな多才な荒木 一郎のデビュー曲である、「空に星があるように」をどうぞ。
 
空に星があるように/荒木一郎

この曲の歌詞はこちら

荒木 一郎には、水木京子(順子)、ナポレオン、枯木華、すずきすずか名義による作品もあります。

1980年代後半からは活動を大幅に減らしてるい荒木 一郎ですが、2001年には他アーティストとの共演によるアルバムである「BEST FRIEND & BEST COLLECTION」を制作し、2002年には青山劇場でライブを行うなど、近年再び本格的な活動を始めています。

2010年には、北沢タウンホールにて、8年ぶりとなるライブ「Ichiro Araki 3 Days」を行ない、翌年2011年にはこのライブのDVDBOXが発売されています。

荒木 一郎といえば、「あなたといるだけで」も名曲ですね。(^^)
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 

「あなたといるだけで/荒木一郎」 - 風俗ドラマ「今夜は踊ろう」主題歌 B面収録曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、荒木 一郎の「あなたといるだけで」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 -)は、東京都出身の俳優、歌手、音楽プロデューサ



「ウルトラマンの主題歌」 - 懐かしの巨大変身ヒーロードラマ「ウルトラマン」のOP

以前、懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」から、「マグマ大使の主題歌」をご紹介しましたが、今日は「ウルトラマン」から「ウルトラマンのオープニングテーマ」のご紹介です。

ウルトラマンの主題歌 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

「ウルトラマン」は、円谷プロダクションが制作し、1966年7月17日から1967年4月9日の間に、TBS系で毎週日曜(19:00-19:30)に放送された日本の特撮テレビ番組(カラー)作品、およびその劇中に登場する巨大変身ヒーローの名前です。
当時、全39話が放送されました。

「ウルトラマン」というのは、その少し前に放送されていた「ウルトラQ」というドラマの続編として制作されたもので、怪獣や宇宙人によって引き起こされる災害や、超常現象の解決に当たる科学特捜隊と、それに協力するM78星雲光の国の宇宙警備隊員ウルトラマンの活躍を描くものです。

物語は、科学特捜隊のハヤタ隊員が、小型ビートルに搭乗して青い球体と赤い球体を追跡するところから始まります。
竜ヶ森湖上空で、小型ビートルは赤い球体と衝突して墜落し、ハヤタ隊員も命を落とします。この赤い球体の正体はM78星雲の宇宙人で、彼は、宇宙の墓場に護送中に逃亡した宇宙怪獣ベムラーを追跡し、地球までやってきたのでした。

そして、自分の不注意によってハヤタ隊員を死なせたことに責任を感じた宇宙人は、ハヤタに自分の命を分け与えて一心同体となり、地球の平和を守るために戦うことを決意します。

それ以後、ハヤタ隊員は科学特捜隊が危機に直面すると、ベーターカプセルを掲げてウルトラマンに変身し、怪獣や宇宙人と戦います。

今日は、作詞・東京一、作曲・編曲・宮内國郎、歌・みすず児童合唱団、コーロ・ステルラによる「ウルトラマン」のオープニングテーマをどうぞ。


ウルトラマンの歌/みすず児童合唱団、コーロ・ステルラ

当時、「ウルトラマン」放送時の平均視聴率は36.8%で、最高視聴率は42.8%を記録するという人気番組でした。放送終了後もその人気が衰えることはなく、最初に行なわれた再放送においても平均視聴率が18%台を記録します。
その人気度は、固有名詞としての「ウルトラマン」が「広辞苑」の見出しにも記載されているほどで、また、最終回でウルトラマンがゼットンに倒されたシーンは、放映当時の子供達に衝撃を与えます。

大仁田厚や前田日明は「大人になったらゼットンを倒してウルトラマンの仇をとろう」と、「ウルトラマン」が格闘技を始めたきっかけになったと語っています。

また、「ウルトラマン」の放送終了後に、一連のシリーズ作品が制作・放映されました。
毎回、巨大ヒーローと怪事件処理専門チームが連携して、宇宙や異次元、地球のどこからかやって来る怪獣や宇宙人たちと戦うというコンセプトの特撮番組で、子供達から人気を博します。
これらの、いわばスピンアウト作品は、「ウルトラシリーズ」あるいは、「ウルトラマンシリーズ」と呼ばれています。

最後に、以後に制作されたウルトラマンシリーズの、いわばオリジナルとなる「ウルトラマン」のデータを書いておきます。

【ウルトラマンのプロフィール】
身長:40メートル
体重:3万5千トン
年齢:約2万歳
飛行速度:マッハ5
走行速度:時速450キロメートル
水中速度:200ノット
ジャンプ力:800メートル
腕力:十数万トンタンカーを持ち上げる
キック力:320文の威力がある
職業:宇宙大学教授、宇宙警備隊銀河系局長(のちに支部長と設定)
趣味:読書

【ウルトラマンの家族構成】
父:宇宙保安庁長官
母:ウルトラ学校教師