Super源さんの音楽ブログ

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「旅立ち/松山千春」 - その後「季節の中で」でブレイクする松山千春のデビュー曲

今日は、松山 千春の「旅立ち」のご紹介です。

旅立ち 松山千春 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 -)は北海道足寄郡足寄町出身のフォークシンガーです。

1975年、「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選となりますが、STVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、翌年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビューをします。
続いて、翌1977年の1月25日に、「旅立ち」でレコードデビューを果たします。

そして、翌年の1978年に発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことでブレイクし、その後も「窓(1979年)」「恋(1980年)」「長い夜(1981年)」をはじめとする多数のヒット曲を世に送り出し、ニューミュージック界に確固たる地位を築きます。
 

「季節の中で/松山千春」 - グリコアーモンドチョコレートCMソング ミリオンセラーを達成した松山千春のブレイク曲! |Super源さんの音楽ブログ


今日は、松山 千春の「季節の中で」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 -)は北海道足寄郡足寄町出身のフォークシンガーです。


今日は、そんな松山 千春の、1977年1月25日に発売されたデビュー曲である「旅立ち」をどうぞ
 
旅立ち/松山千春

この曲の歌詞はこちら

この曲は、全国的なヒットには至りませんでしたが(オリコン74位)、地元の北海道ではローカル・ヒットとなります。
また、9年後の1986年に、同名のベスト・アルバム「旅立ち」で再録音され、その新バージョンはシングル「旅路」のB面にも収録されました。

松山千春のスキンヘッドは、マイケル・ジョーダンへの憧れから

ちなみに、松山千春は高校時代はバスケットボール部に所属しており、当時十勝地区で「シュートの鬼」の異名を取ったといいます。
松山千春がバスケットボールの伝説的スターマイケル・ジョーダン(Michael Jeffrey Jordan , 1963年 2月17日 - )に憧れて、スキンヘッドにしたというのは有名なところです。

「白馬山麓(はくばさんろく)/狩人」 - 1980年に発売されたヒット曲

今日は、狩人の「白馬山麓(はくばさんろく)」のご紹介です。

白馬山麓 はくばさんろく 狩人 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人による兄弟デュオです。

狩人は、1977年3月25日に、「あずさ2号」でデビューをします。
 

「あずさ2号/狩人」 - 累計80万枚を売上げた狩人のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、狩人の「あずさ2号」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人によ


この曲は、いきなり大ヒットとなり、同年1977年の暮れに行なわれた第19回日本レコード大賞などの数々の新人賞を受賞し、人気となります。

狩人は、「あずさ2号」でサンレモ音楽祭などにも出場。
その後も「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒットにより、スター歌手の地位を確実なものとします。
 

「アメリカ橋/狩人」 - オリコンで週間28位を記録した、狩人の1979年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、狩人の「アメリカ橋」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人によ


毎年年末に行なわれる、恒例のNHKの紅白歌合戦には、1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たします。

それ以降は大きなヒットに恵まれませんでしたが、ドラマやCMに彼らの楽曲が採用され、特に、1994年歌謡バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」への出演をきっかけに再ブレイク。
その翌年に「あずさ2号(ニュー・バージョン)」を発売し、その後二人は歌手以外に自らの才能の範囲を広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も並行して行なうようになります。

煙草のポイ捨て撲滅運動に参加し、キャンペーンソング「どんポイ!(Don't Poi!)」を発売し、ヒット。また、初のレギュラーラジオ番組として「狩人 ときめきの扉」などにも出演しています。

2006年3月19日には、デビュー30周年コンサートと、プロ野球OBチームマスターズリーグとの野球試合を東京ドームで開催し、主催者側発表で2万人の観客を集めた。岡崎友紀、伊藤咲子、三善英史らと”青春コンサート”と名打った懐メロコンサートで全国を回ります。

今日は、そんな彼らの1980年01月25日に発売された通算10枚目のシングルである、「白馬山麓」をどうぞ。
 
白馬山麓(はくばさんろく)/狩人

この曲の歌詞はこちら

狩人は、2012年7月18日には、5年ぶりに再結成する事を発表。
同年8月18日放送のNHK「思い出のメロディー」に出演して、「あずさ2号」を歌唱し、同年11月6日の「NHK歌謡コンサート」では「コスモス街道」を歌唱。
現在、兄弟二人は個別の歌手活動をこなしながら、並行して狩人としても再活動中です。

「ニャー。白馬山麓って、『タイムボカン』に出てくる3人の悪役のことニャよな」「それは、『悪の三役』」

画像はこちらからお借りしました。

ちなみに、2007年末に一旦解散した狩人が、再結成するきっかけとなったのは、2011年3月11日に福島県で発生した東日本大震災でした。
2006年に、解散前のラスト・シングルとして発売した「磐越西線」の人気が、地元の福島県で再燃していることを知った狩人の2人は、「被災された福島県の人々をこの曲で勇気付けられるのなら」と考え直し、これが震災翌年の2012年の再結成へとつながったのです。

「恋のバカンス/ザ・ピーナッツ」 - オリコン週間10位を記録した、ザ・ピーナッツの定番曲のひとつ!

今日は、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」のご紹介です。

恋のバカンス ザ・ピーナッツ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ザ・ピーナッツ(The Peanuts)は、愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)出身、同県名古屋市育ちの元女性歌手(デュオ)、俳優です。
略称は「ピーナッツ」。

メンバーは、姉の伊藤エミ(本名、澤田 日出代(さわだ ひでよ)(旧姓、伊藤)1941年4月1日 - 2012年6月15日)と妹の伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ)1941年4月1日 - )。

一卵性双生児なので、どちらが姉か妹か見分けるのが難しいですが、ほくろのある方が姉の伊藤エミで、ない方が妹の伊藤ユミです(最初は妹のユミもマジックでつけほくろをしていました)。

ザ・ピーナッツは、1958年に、同市内のレストランで渡辺プロダクション社長の渡邊晋にスカウトされて上京します。

そして、1959年2月11日に、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー。同年4月には「可愛い花」でレコードデビューをします。

1959年6月17日から1970年3月31日まで、フジテレビ系の歌謡番組「ザ・ヒットパレード」のレギュラーに抜擢され、その後1961年6月4日から1972年10月1日まで、日本テレビ系の人気バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」においてメインの司会を務めます。

また、女優活動も少ないながらも行なっており、映画などにも数作出演しています。
中でも、特撮映画モスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くあります。

モスラ 小美人

写真は、こちらからお借りしました。

音楽の話に戻れば、当時ザ・ピーナッツが和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に、当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」が連想されるほどの活躍ぶりでした。

今日は、そんなザ・ピーナッツの、1963年4月に発表された定番曲のひとつである「恋のバカンス」をどうぞ。
 
恋のバカンス/ザ・ピーナッツ

この曲は、オリコンチャートにおいて、週間10位を記録しています。
[前年の1962年に発売された「ふりむかないで」に続くザ・ピーナッツのオリジナル曲で、ジャズの4ビートを生かした、歌謡曲としてはかつてなかったほどのスウィング感に満ちあふれた楽曲で、シングル発売直後より話題となりました。

「恋のバカンス」は、ドイツやイタリアばかりでなくロシアでも人気に

「恋のバカンス」が人気になったのは、当時の東西両ドイツやイタリアばかりではありません。
ロシアでも人気になりました。

当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ、国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員がこの曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込んで積極的に展開を行ない、1965年、人気歌手ニーナ・パンテレーエワ(ロシア語版)がロシア語歌詞でこの曲を歌い大ヒットしました。

『恋のバカンス』からの直訳ロシア語タイトル「カニークルィ・リュブヴィー (Каникулы любви)」は、既にザ・ピーナッツの名とともに人口に膾炙(かいしゃ)していましたが、パンテレーエワのバージョンのタイトルは Песня о счастливой любви(ピェースニャ・ア・シスリーヴァイ・リュブヴィー=幸せな恋の歌)であした。

その後は、「カニークルィ・リュブヴィー (Каникулы любви)」のほうが世間に通用するタイトルの座に収まっています。

歌は、その後も度々リバイバルされ、ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない人さえいるほどで、現在のロシアでも、世代を超えた有名曲となっています。

「恋のバカンス」は、多くのの歌手にカバー

また、この曲は後に、キャンディーズ(アルバム『Candy Label』)、甲斐よしひろ(アルバム『翼あるもの』)、竹中直人(アルバム『かわったかたちのいし』)、田中美奈子(シングル)、渡辺美里(アルバム『Cafe mocha~うたの木~』)などの、多くの歌手にカバーされています。

ザ・ピーナッツは、当時非常に人気のあった姉妹デュオで、布施 明が歌手になろうと思ったのも、ザ・ピーナッツに憧れたためでした。

なお、ザ・ピーナッツは日本国外でも活躍し、「エド・サリヴァン・ショー」(アメリカ)、「カテリーナ・バレンテ・ショー」(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、「ダニー・ケイ・ショー」(アメリカ)にも出演したことがあります。