Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ユー・メイ・ドリーム(You May Dream)/シーナ&ザ・ロケッツ」 - オリコン20位を記録! 日本航空『マイ・ハート・キャンペーン』のCMソング

今日は、シーナ&ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム(You May Dream)」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

シーナ&ロケッツ(SHEENA & THE ROKKETS)は、ギターロックバンドです。

メンバーは、シーナ(ボーカル・タンバリン)、鮎川誠(ギター・ボーカル)、川嶋一秀(ドラム)、奈良敏博(ベース)の4人で、出身地は、それぞれ北九州市、久留米市、福岡市、福岡市。

プロフィール-SHEENA & THE ROKKETS' OFFICIAL WEB SITE
http://www.rokkets.com/rokket.htm

シーナ&ロケッツは、元サンハウスのギタリスト鮎川誠が、妻・シーナ(本名:悦子)と共に結成。
1978年に、「涙のハイウェイ」で、デビューをします。

そして、翌年の1979年に、イエロー・マジック・オーケストラのメンバーの協力を得て、アルバム「真空パック」を発売。
シングル「ユー・メイ・ドリーム(You May Dream)」が、JALの「マイ・ハート・キャンペーン」のCMに起用されて、ブレイクを果たします。

その後、アメリカのA&Mレコード、フランスのスカイドッグ・レコードなど、海外でもアルバムを発売して世界的に名が知られることとなり、国内外を含めて、これまでに通算35枚のアルバムと、16枚のシングルを発売しています。

2013年には結成35周年を迎えるも、1978年結成当初よりバンド活動には一切のブランクがなく、日々積極的に全国各地でライブ・ツアーを行なっているシーナ&ロケッツ。
日本国内では、トップクラスのロック・バンドとして今日に至っているバンドです。

今日は、そんなシーナ&ロケッツの、1979年12月5日に発売された通算2枚目のシングルである、「ユー・メイ・ドリーム(You May Dream)」をどうぞ。
 
ユー・メイ・ドリーム(You May Dream)/シーナ&ザ・ロケッツ(SHEENA & THE ROKKETS)

歌詞はこちら

この曲の作詞は柴山俊之、作曲は鮎川誠・細野晴臣です。
オリコンチャートにおいて、最高順位週間20位を記録するヒット曲となりました。

この曲は、1979年10月25日に発売されたアルバム『真空パック』からのリカットで、日本航空『マイ・ハート・キャンペーン』のCMソングに採用されました。
 
JAL My heart EUROPE CM 1980年

CMに使われると、一気にバンド名が世間に知られるようになりましたが、プロデュースを担当した細野晴臣がイエロー・マジック・オーケストラのエッセンスを入れたため「ロックバンドが変な音楽作ってるぜ」という誤解したイメージをもたれることもあり、ロックファンから良くない反響もあったといいます。

それに対し、メンバーの鮎川誠は「日本人は論争が好きなんだよ。はっぴいえんどの日本語ロックと内田裕也さんの英語のロックはどっちがいいのか。そんなのちょっと離れてみたら、どっちもごきげんなロック。だからそんな反応はどうでもよかった」と話しています。

ちなみに私は、当時この曲のタイトルYou May Dreamが、「=ドリーム」とも読めるところが面白いなあ、と思いました。(^-^)

「シーナ&ロケッツ」のバンド名の由来は?

「シーナ&ザ・ロケッツ」というバンド名の由来は、シーナの本名「悦子」から「ロック+エツコ=ロケッツ」となり、ただのロケッツでは軽いということと、昔風に「○○&ロケッツ」にしたいという鮎川誠の発案からです。

シーナ&ロケッツは、シナロケと略されることもありますが、2013年以降はシーナ&ロケッツと表記されています。
過去には、シーナ&ザ・ロケッツ、シーナ&ロケットなどと表記されることもありました。


ゆうちゃん



「夢」って言えば、しんちゃんの夢は何?


しんちゃん



うーん
タイムマシンに乗って、もう1度シーナ&ロケッツのコンサートに行くことかな
ゆうちゃんは?


ゆうちゃん



オレか?
オレは、彼女と一緒に紅茶のおいしい喫茶店に行ってレモンティーを飲むことかな


しんちゃん



言ってくれるね!

「レモンティー」パクリ疑惑

レモンティーといえば、シーナ&ロケッツの「レモンティー」という曲が、ヤードバーズの「トレイン・ケプト・ア・ローリン」によく似ています。
以下に2曲貼りつけますので、もしもお時間があれば、裁判官になったつもりで(?)聴き比べてみてください。(^^)
 
SHEENA & THE ROKKETS - LEMON TEA (LIVE 1986)
 
THE YARDBIRDS in Blowup (Train Kept 'a Rollin')

どうでしょう? 非常によく似ていますよね。(^^;
リズムが同じ、アレンジが同じ、テンポが同じ、メロディーが少し違うだけ、といった感じですが、皆さんはどう思われますか?
(@_@)ウーン、ヤハリ、パクリ ナノカ?(*_* )


追記:2015.2.16
SHEENA(シーナ)、こと鮎川 悦子(あゆかわ えつこ)さんが、2015年2月14日に子宮頸癌で東京都内の病院で亡くなりました。享年61歳でした。

シーナ&ロケッツのシーナさん死去
4人組ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のボーカル、シーナさん=本名・鮎川悦子=が14日朝、子宮頸がんのため、入院先の都内の病院で亡くなった。61歳だった。

シーナは昨年7月、急病でライブ出演をとりやめたが、鮎川によると、この時、末期の子宮頸がんと診断されていたという。8月にステージ復帰。9月13日に日比谷野音で行われたシナロケの35周年ライブにも出演したが、この時、体調が悪いことを伏せて、ステージに立っていたという。

その後、体調が悪化し、11月下旬に入院。正月は自宅に戻り、家族で過ごすことができたが、今年1月中旬に容態が急変。再び入院。この日、家族が病室に集まり、手を握りながらみまもったが、パソコンでシナロケの35年分の音楽を聴きながら、息を引き取ったという。

シーナ&ロケッツのシーナさん死去-デイリースポーツ online
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/02/14/0007740118.shtml

追記:2023.01.30
ロックバンド、シーナ&ロケッツの鮎川誠さんが、2023年1月29日に膵臓がんで亡くなりました。享年74歳でした。

シーナ&ロケッツ鮎川誠さん死去
ロックバンド、シーナ&ロケッツの鮎川誠さんが29日午前5時47分に膵臓がんのため死去した。74歳。30日に同バンドの公式サイトで発表された。発表を受け、長女でモデルの鮎川陽子がツイッターを更新し、父・誠さんを追悼した。

陽子は「父、鮎川誠がなくなりました。最後の1ヶ月間、娘3人で交代しながら家で一生懸命看病していました。ぜったい良くなるって信じていたのに、回復の願いが叶わず、悲しくてしかたがありません」と心境を吐露。「お父さんは世界一かっこいいロッカーでした。応援してくださった皆様、ほんとうに感謝しています」とつづり、笑顔で写る思い出の家族写真を掲載した。

バンドの公式サイトでは「1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。膵臓がんでした。これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年にわたって応援し、愛してくださり、本当に有難うございました」と謝意を記した。

シーナ&ロケッツ鮎川誠さん死去 モデルの長女・陽子が追悼「世界一かっこいいロッカーでした」 | ORICON NEWS
https://www.oricon.co.jp/news/2265926/
 

「惜春の唄(せきしゅんのうた)/森田公一とトップギャラン」 - 「青春時代」が大ヒットした森田公一とトップギャランの、1978年のヒット曲

今日は、森田公一とトップギャランの「惜春の唄(せきしゅんのうた)」のご紹介です。

惜春の唄 森田公一とトップギャラン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成された森田公一と5名のコーラスによる音楽グループです。

メンバーは、森田公一(ボーカル、キーボード、リーダー)、渡部玲子(ボーカル)、原田正美(ギター、元マグマックス・ファイブ、元ポニーズ)、岩田康男(ギター、元スケルトンズ、元レモンルーツ)、小原重彦(ベース、元マグマックス・ファイブ)、北村勝彦(ドラムス)。

森田公一とトップギャランは、エキスプレス/東芝音工(現・ユニバーサルミュージック)よりデビューをします。
その後、CBSソニーレコードに移籍。「青春時代」「人間はひとりの方がいい」「過ぎてしまえば」などのヒットを放ちます。
 

「過ぎてしまえば/森田公一とトップギャラン」 - オリコン54位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、森田公一とトップギャランの「過ぎてしまえば」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成され


そして、1977年の第28回NHK紅白歌合戦に出場。1981年に解散します。

今日は、そんな森田公一とトップギャランの、1978年2月に発売されたシングルである「惜春の唄(せきしゅんのうた)」をどうぞ。
 
惜春の唄/森田公一とトップギャラン

♪街を華やかにして 歩く娘らよ
君よ恋をしているか 愛を知ってるか
若い時はいつしか 過ぎてゆくものだ♪

この曲の作詞は山上路夫、作曲は森田公一です。
メッセージ性の強い歌詞で、ちょっと説教くさいかな、と思えなくもないですが、(^^; 森田公一の独特の語り口で歌われると、とても味わい深いです。

この曲のオリコン最高位は、95位です。
2010年から、森田公一の抜けたトップギャランに、狩人の加藤久仁彦(かとう くにひこ)がリードボーカルとして加入し、「加藤久仁彦&トップギャラン」として活動を始めています。

「天使の誘惑/黛 ジュン」 - オリコン週間3位&1968年「第10回日本レコード大賞」受賞曲!

今日は、黛 ジュンの「天使の誘惑」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

黛 ジュン(まゆずみ ジュン、本名:渡邊 順子(わたなべ じゅんこ) 1948年5月26日 -)は、東京都調布市出身の歌手、女優です。実兄は作曲家の三木たかし。
1960年代後半を中心に、独特のパンチの効いた魅力的な歌声でヒットを飛ばした歌手です。

黛 ジュンは、1964年に「渡辺順子」の名でデビューします。
が、ヒットせず、2年後の1967年に石原プロモーションへ移籍します。
くわえて、作曲家である黛敏郎のファンであったことと、パンチのある名前ということで「黛ジュン」に改名し、東芝音楽工業から「恋のハレルヤ」で再デビューをします。

この曲は、ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で、一気に注目を集めることとなります。

そして、翌年の1968年に発売された「天使の誘惑」は更なるヒットとなり、同年の第10回日本レコード大賞に輝きます。
結果、1967年から1968年の2年間において、レコードの売上が500万枚を記録。「天使の誘惑」「夕月」では映画の主演女優に抜擢。売れっ子女優にもなります。

また、年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年間連続で通算4回の出場を果たします。

今日は、そんな黛 ジュンの多くのヒット曲の中から、1968年05月01日に発売された通算4枚目のシングルである、「天使の誘惑」をどうぞ。
 
天使の誘惑/黛ジュン

この曲の歌詞はこちら

「天使の誘惑」は、それまでに発売された3曲と同様、作詞はなかにし礼、作曲は鈴木邦彦となっています。
鈴木邦彦は、作曲ばかりでなく編曲も手がけており、スチールギターを使ったハワイアンムードの楽曲に仕上げたところ、夏向きのリゾートミュージックとなり、好評を博しました。

結果、この曲はオリコンチャートにおいて、週間3位、1968年度年間18位を記録。
黛ジュンは、この曲で1968年の「第10回日本レコード大賞」を受賞。
同年の大晦日に行なわれた「第19回NHK紅白歌合戦」では、この曲を歌唱しました。

当初は、和服姿で『夕月』を歌唱することになっていたのですが、この曲が12月21日に行なわれたレコード大賞を受賞したため、曲がこの「天使の誘惑」に変更されました。
と同時に、服装も変更され、黛ジュンの代名詞ともいえるミニスカート姿で歌うこととなりました。