Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「言葉にできない/オフコース」 - オリコン週間37位を記録したヒット曲

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「言葉にできない」のご紹介です。

言葉にできない オフコース ジャケトイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

オフコースは、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループで、1970年に「群衆の中で」でデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

当初は、生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていました。

結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドに変わります。
そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得し、それ以降も、「愛を止めないで」「さよなら」「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、時代を代表するビッグ・グループとなります。
 
「時に愛は/オフコース」 - オリコンで週間35位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ

「時に愛は/オフコース」 - オリコンで週間35位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、オフコース(OFF COURSE)の「時に愛は」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。オフコースは、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道


さて今日は、1982年2月1日に発売されたオフコース通算23枚目のシングルである、「言葉にできない」をどうぞ。
 
言葉にできない/オフコース

「言葉にできない」(ことばにできない)は、1982年2月1日に通算23枚目のシングルとして発売された曲です。
アルバム『over』からのシングルカット曲で、アルバム収録曲と同じ内容です。
オリコンチャートにおいては、週間37位、登場回数8回を記録しています。

コンサートで声を詰まらせ、「言葉にできない」を歌えなくなった小田和正

「言葉にできない」は、「Off course Concert 1982 “over”」の最終公演地、日本武道館での10日間連続公演最終日の6月30日と1989年2月26日に、東京ドームで行なわれた“The Night with Us”で、小田和正が涙で声を詰まらせ、歌えなくなったことがあります。

つまり小田和正は、「言葉にできない」の歌唱中に、この曲の歌詞が言葉にできない状態になってしまったのです。(・o・)

“over”ツアーの武道館公演では、曲の後半部分で映画『ひまわり』の中の、一面に広がるひまわり畑のシーンがスクリーンに映されました。
このアイデアについて、小田和正は、
「まさに言葉にできないほどの、圧倒的な花の映像が欲しかったので、映画の版権の一部を買い取って武道館一面、ひまわりで埋めたんだ」
と、後のインタビューで答えています。
フェードアウト直前に、解散を示唆する「We are over,thank you」のナレーションが収録され、武道館公演では、ひまわり畑のシーンにこのライブの前に発売されたアルバム“We are”, “over”, “I love you”のタイトルが投影されました。

「UNバランス(アンバランス)/河合奈保子」- オリコンで週間4位を記録したヒット曲

今日は、河合奈保子の「UNバランス(アンバランス)」のご紹介です。

UNバランス 河合奈保子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

河合奈保子(かわい なおこ、1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。

1980年代の歌手・アイドルの1人で、本名は「かわい なほこ」ですが、芸名では「かわい なおこ」と読ませています。

当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、デビュー時の河合奈保子につけられたのは、「ほほえみさわやかカナリー・ガール」です。
2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットし、複数の音楽祭で新人賞を受賞します。

代表曲には、「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャートシングル売上記録順)などがあります。
 

「スマイル・フォー・ミー/河合奈保子」 - 「第23回日本レコード大賞」ゴールデン・アイドル賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は


彼女の明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、幅広い世代に愛され、それに加えてスタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、写真集は2012年の現在もなお古書市場で根強い人気を保っています。

また、彼女は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなっています。

今日は、そんな彼女の曲の中から、1983年9月に発売された通算14枚目のシングである「UNバランス(アンバランス)」をどうぞ。
 
UNバランス(アンバランス)/河合奈保子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンで週間4位、1983年度年間64位を記録しています。
河合奈保子は、この曲で「第34回NHK紅白歌合戦」に出場。
前作に続くディスコ路線の曲で、アレンジは同年発表されたドナ・サマーの「情熱物語 (She Works Hard For The Money)」に非常によく似ています。


情熱物語(She Works Hard For The Money)/ドナ・サマー(Donna Summer)

どうも、この曲のアレンジをパクったようですね。(^^;

「アントニオの歌(Antonio’s Song)/マイケル・フランクス」 - アルバム「スリーピング・ジプシー」に収録されている名曲! アントニオって誰?

今日は、マイケル・フランクスの「アントニオの歌」のご紹介です。

アントニオの歌 マイケル・フランクス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

マイケル・フランクス(Michael Franks、1944年 9月18日 -)は、アメリカのミュージシャンで、AOR界を代表するボーカリストの1人です。

マイケル・フランクスは、その独特の囁くようなボーカルスタイルと、ジャッジーで都会的な音楽性で高く評価されており、代表曲である「アントニオの歌(Antonio's Song)」は、ボサノバの曲として日本でも知名度が高いです。

デビュー当時から、ジャズ・フュージョン・ソウル界からの人気ミュージシャンを起用して楽曲を制作し、浮き沈みの激しいAOR界において、現在に至るまで一貫した音楽性で、コンスタントに作品を発表し続けている類まれなアーティストです。

今日は、そんなマイケル・フランクスの、1977年に発売されたアルバム「スリーピング・ジプシー(Sleeping Gypsy)」の中から、「アントニオの歌(Antonio's Song)」をどうぞ。
 
アントニオの歌(Antonio's Song)/マイケル・フランクス(Michael Franks)

この曲の歌詞はこちら
日本語訳はこちら

アントニオって誰?

この曲のタイトルの一部になっているアントニオというのは、一体誰のことなのでしょうか?

アントニオというのは、あのボサノバの巨匠アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)のことです。
音楽好きの方なら、きっとご存じなのではないかと思います。(^^)
この曲は、彼に捧げる曲となっています。

マイケル・フランクスって、どんな人?

マイケル・フランクス(Michael Franks、1944年9月18日 - )は、アメリカのミュージシャンです。
独特の囁(ささや)くようなボーカルと、ジャジーで都会的な音楽性が特徴で、クワイエット・ストーム・ムーブメントを牽引しました。

彼は、パティ・オースティン、アート・ガーファンクル、ブレンダ・ラッセル、クラウス・オガーマン、デビッド・サンボーンなどの、多くの有名アーティストとレコーディングをしました。

彼の曲は、ゴードン・ハスケル、シャーリー・バッシー、カーペンターズ、パティ・ラベル、ライル・ラヴェット、カート・エリング、ダイアナ・クラール、マンハッタン・トランスファー、カーメン・マクレエ、リンゴ・スターなどによって録音されています。