Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「もらい泣き/一青窈(ひとと よう)」 - 大ヒット曲「ハナミズキ」で知られる一青窈のデビュー曲! この曲にはパクリ疑惑も!

今日は、一青 窈の「もらい泣き」のご紹介です。

もらい泣き
写真は、こちらからお借りしました。

一青 窈(ひとと よう、1976年9月20日 - )は、台湾生まれ、日本育ちの女性歌手・作詞家・俳優です。
姉は、舞台女優の一青妙(ひとと たえ)。
一青 窈の中国語の漢字名は顏窈(イエン・ヤオ)で、「顏」は父親(台湾人)の姓。「一青」は母親(日本人)の姓。

一青 窈は、小学校高学年の頃に宮沢賢治の詩に触発され、詩を書き始めます。
初等部から森村学園に通い、美術部とバスケットボール部に所属。生徒会では書記を務めます。

半年の浪人期間を経て、AO入試で慶應義塾大学環境情報学部(SFC=湘南藤沢キャンパス)に入学。
慶應義塾広告学研究会、ジャズ研究会、K.O.E.(アカペラサークル)に所属し、ストリートライブなどを行ないます。
K.O.E.で現ゴスペラーズの北山陽一と出合い、自作の詩を見せたところ「お前の詩は面白い。FAXしてくれたらいくらでも曲を付けるから歌え」と提案され、以降、自分の詩で歌うこととなります。※

その後、福祉イベントで歌っているところをスカウトされ、2002年に「もらい泣き」でデビュー。
この曲はヒットし、ファーストアルバム「月天心」で大ブレイク、数々の音楽賞や新人賞を受賞します。

2003年には、第54回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし2004年には、「ハナミズキ」が大ヒット。
また、映画「珈琲時光」主演で女優としてデビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。

2006年には、初のベストアルバムを発売し、2008年12月には、岩松了演出の音楽劇「箱の中の女」の主演を務めます。

今日は、そんな一青窈の、2002年10月30日に発売されたデビュー曲、「もらい泣き」をどうぞ。
 
もらい泣き/一青窈

この曲の歌詞はこちら

一青窈は、このデビュー作から一般に広く受け入れられ、ヒットとなります。
しかも、12月18日に発売された1stアルバム『月天心』発売時の2か月後まで、ロングヒットしつづけ、1stシングルと1stアルバムがオリコンチャートの同じ週にTOP10入りすることになります。

「もらい泣き」にパクリ疑惑発覚!(゚o゚)

ところで、この「もらい泣き」ですが、この曲よりも約3年早く発売された松たか子の「夢のしずく」に非常に良く似ています。
以下に動画を貼りつけますので、聴き比べてみてください。
 
夢のしずく/松たか子

どうでしょう?
似てるというより、似すぎという感じが…。(^o^:

確か、「夢のしずく」は、松たか子のオリジナルで、作詞・作曲ともに松たか子だったと記憶しています。
では、「もらい泣き」の方は?(?_?)

ということで、再度調べてみると、面白いことを発見!(^^)v

>夢のしずく 発売:1999年09月22日 作詞・作曲:松たか子、作曲・編曲:武部聡志(たけべ さとし)
>もらい泣き 発売:2002年10月30日 作詞:一青窈 作曲:溝渕大智、マシコタツロウ、武部聡志 編曲:武部聡志

おおおっ!(゚o゚) キ、キター━━━(゚∀゚).━━━!!!
同じ人が、これら2曲の作曲と編曲にかかわってますね。

ということは…。
これはもう、作・編曲家の武部聡志が、松たか子のつくったメロディーをいただいちゃった、とみて良いのではないでしょうか?(@_@)ウーン

「一青」は、石川県に地名としても存在

ちなみに、一青 窈の苗字「一青」ですが、これは、母親の出身地である石川県に地名としても存在します(石川県鹿島郡鳥屋町一青(現:石川県鹿島郡中能登町一青))。

さらに、「池月 一青(ひとと)」という吟醸酒(ぎんじょうしゅ)が、石川県鹿島郡の鳥屋酒造株式会社から発売されています。

池月 純米吟醸 一青(ひとと) 能登の地酒 - 【富山 吉田酒店】
https://www.yoshidawines.com/product/707


※一青 窈の書く詩に関しては、後に武部聡志が「一青の詞は日本一」と評しています。彼女の詩は、すべて実体験に基づいているということです。

「明日、春が来たら/松たか子」 - 1997年に発売された、歌手としてのデビュー曲

今日は、松たか子の「明日、が来たら」のご紹介です。

明日、春が来たら 松たか子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松 たか子(まつ たかこ、本名・佐橋 隆子(さはし たかこ)。旧姓・藤間(ふじま) 1977年6月10日 ‐)は、東京都出身の女優、歌手です。
日本舞踊松本流名取、初代 松本 幸華(まつもと こうか)の名ももちます。
九代目、松本幸四郎(歌舞伎俳優)は実父。七代目、市川染五郎(歌舞伎俳優)は実兄。夫は、佐橋佳幸(ミュージシャン)。


松たか子は1993年(平成5年)、16歳の時に、歌舞伎座の「人情噺文七元結」で初舞台を踏みます。

翌1994年(平成6年)にはNHK大河ドラマ{花の乱」で、テレビドラマに初出演。

1995年(平成7年)には同局のドラマ「藏」で主演し、以降、テレビドラマ・舞台等で女優としてのキャリアを重ねます。

1996年(平成8年)の「ロングバケーション」、1997年(平成9年)の「ラブジェネレーション」、そして、2001年(平成13年)の「HERO」と、民放の月9ドラマに出演。いずれも、木村拓哉と共演し、30%前後の高視聴率を記録します。

そして、1997年(平成9年)には「明日、春が来たら」で歌手としてもデビュー。
同年末の「第48回NHK紅白歌合戦」に、この曲で出場を果たします。

それ以後は、女優業と並行して歌手としての活動も続け、2009年(平成21年)までにシングル21枚、アルバム12枚を発売。全国コンサートツアーも行なっています。


今日は、そんな松田たか子の、1997年3月21日に発売された、歌手としてのデビュー曲である「明日、春が来たら」をどうぞ。
 
明日、春が来たら/松たか子

この曲の歌詞はこちら

役者の方の歌は、本職の歌手の方とはまた違った味わいがあっていいですね。
それはおそらく、歌手として歌っている時も、「役者」になりきっている(歌手という役を演じている)からなのでしょう。
うまい、ヘタという物指しでははかれない、独特の魅力があるように思います。

また、松たか子は、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞や読売演劇大賞・最優秀女優賞等を受賞しています。

2007年(平成19年)には、ミュージシャン・佐橋佳幸と結婚し、2014年(平成26年)には、声優として、ディズニー映画「アナと雪の女王」に主演。
同作品の日本語吹き替え版劇中歌「レット・イット・ゴー」は、フル配信100万DLを達成しています。

「Base Ball Bear」の「彼氏彼女の関係」は、この曲のパクリ!?

ちなみに、2001年に結成された「Base Ball Bear(ベース ボール ベアー)」というロックバンドが、2009年01月07日に「彼氏彼女の関係」という曲を発売しているのですが、「明日、春が来たら」に非常に良く似ています。
彼氏彼女の関係/Base Ball Bear

これはもう、似ているどころではなく、パクリ疑惑ですね。(@_@)ウーン

【明日、春が来たらどうする?】
明日、春が来たらどうする?

「翼を下さい/赤い鳥」 - 「竹田の子守唄」のB面に収録されていた名曲 サッカー日本代表チームの応援歌

今日は、赤い鳥の「翼を下さい」のご紹介です。

翼を下さい 赤い鳥 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

赤い鳥(あかいとり)は、1969年に結成された音楽グループです。
1970年代を中心に活動し、1974年に解散したフォークグループで、代表曲には「翼を下さい」と「竹田の子守唄」があります。

赤い鳥は、1970年4月に、イギリス、ロンドンでレコーディングを行ない、6月にシングル「人生」、アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。

赤い鳥というグループ名の由来は、鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとられました。

メンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ、1974年2月後藤悦治郎と結婚)、山本俊彦(ギター)、新居潤子(1973年4月に山本俊彦と結婚し、山本潤子)(ボーカル・ギター)、大川茂(ベース、1969年6月加入)の5人です。

後期には、大村憲司(ギター、1972年2月から解散まで)、村上秀一(ドラム、1972年6月から解散まで、村上“ポンタ”秀一)、渡辺俊幸(ドラム・キーボード、1973年4月から)が加わりました。

赤い鳥の特徴は、各人がボーカルを担当できることで、美しいハーモニーが魅力のグループです。
各地の子守唄や伝承されている歌などを、美しいハモリで聴かせるかたわら、トニー・マコーレイ(en:Tony_Macaulay)などの曲提供によりアルバムを発表するなど、ソフトロック的な音楽性も兼ね備えていました。

そのため、関西地区で結成されたグループでありながら、いわゆる関西フォークとは一線を画しています。

今日は、そんな赤い鳥の代表曲のひとつである「翼を下さい(つばさをください)」をどうぞ。
 
翼を下さい(つばさをください)/赤い鳥

この曲の歌詞はこちら

「翼をください」は、もともと1971年に発売された「竹田の子守唄」のB面に収録されていた曲ですが、合唱曲として有名となり、既に1970年代後半からは、学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていました。

1998年、サッカーワールドカップの際には、サッカー日本代表チームの応援歌としてこの曲を、山本潤子が歌いヒットしました。
また、曲をモチーフにしたドラマも制作・放映されました。


写真は、こちらからお借りしました。

赤い鳥のその後
赤い鳥は、前述したように1974年に解散しましたが、その後、後藤・平山夫妻は「紙ふうせん」を、山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」を、渡辺は「ハミング・バード」を結成します。

そして、「紙ふうせん」はフォークのあり方を追求し、「ハイ・ファイ・セット」は荒井由実やジャズを取り上げるなど、ポップな演奏を繰り拡げます。
「ハミング・バード」は、後期の赤い鳥の流れをつぐ音楽性を展開しますが、アルバム1枚とシングル数枚で解散します。

また、渡辺俊幸は、1976年にさだまさしのバックボーンとなって、プロデュース・編曲・バックバンドのメンバーなどで活躍します。