Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ドリーム・オブ・ユー ~レモンライムの青い風~/竹内まりや」 - キリンビバレッジ「キリンレモン」のCMソング

今日は、竹内まりやの「ドリーム・オブ・ユー ~レモンライムの青い風~」のご紹介です。

ドリーム・オブ・ユー  レモンライムの青い風~ 竹内まりや ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。
自称「シンガーソング専業主婦」。夫は、山下達郎

生家は、出雲大社正門前に位置する老舗旅館「竹野家」で、4女2男の6人兄弟の三女。
世界で通じるようにとの父の考えから、「まりや」と名づけられました。

出雲玉造温泉 竹野屋
竹野屋
写真は、こちらからお借りしました。

竹内 まりやは、1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING(ビギニング)」でデビューをします。
当時、アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまって、アイドル歌手のような役割を担います。

1979年に発売したシングル「SEPTEMBER(セプテンバー)」は、第21回日本レコード大賞新人賞を獲得。
 

「SEPTEMBER(セプテンバー)/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、竹内まりやの「SEPTEMBER」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根


1980年に発売したシングル「不思議なピーチパイ」は、資生堂化粧品CMソングとなり、ヒットします。

その後は、「もう一度/本気でオンリーユー(Let's Get Married)(1984年4月10日)」「マージービートで唄わせて(1984年8月25日)」「元気を出して(1988年11月28日)」「シングル・アゲイン(1989年9月12日)」「告白(1990年9月18日)」」と、ヒットを飛ばしていきます。

当初は、安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていましたが、これに飽き足らず、自らも作詞・作曲を手がけるようになります。

今日は、そんな竹内まりやの、1979年2月25日に発売された通算2枚目のシングルである、「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~」をどうぞ。


竹内まりや / ドリーム・オブ・ユー ~レモンライムの青い風... 投稿者 jrapaka2

この曲の歌詞はこちら

この曲は、キリンビバレッジ「キリンレモン」のCMソングに使われました。
オリコンチャートの最高順位は週間30位で、シングル・レコードとしては累計10万枚台のヒットながら、半年近くTOP100にチャートインし続けました。

山下達郎とのなれそめについては、もともと、山下達郎の音楽のファンでしたが、同じレコード会社の先輩後輩という関係となり、「芸能人運動会みたいな番組に出て悩んで行き詰まったときに、いろいろと相談に乗ってくれたのが、結婚に至ったきっかけ」と話しています。
また、結婚の際、山下達郎からのプロポーズの言葉はなく「結婚しようか」くらいだったということです。

基本的に、竹内まりやがライブをやらない理由としては、「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下達郎から制限を受けたり、遠慮や気遣いをしているわけではない、と明言しています。
以前、インタビューで、竹内まりやは「達郎が『ライブは、やるな』と言っているとか、『達郎に遠慮している』とか言われているけど、私がライブをやりたくなったら、達郎がなんと言おうと、私はやるって! 本当にやりたくないから、今はやらないだけ」と答えています。

「地上の星/中島みゆき」- オリコン週間1位! 中島みゆき自身2番目の売り上げを記録したヒット曲!

今日は、中島みゆきの「地上の星」のご紹介です。

地上の星 中島みゆき ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

中島みゆき(なかじまみゆき、本名:中島 美雪 1952年2月23日-)は、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティーです。

中島 みゆきは、1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューをします。
暗く重い作風と、ラジオ番組などでの明るい語り口とのギャップで、1980年代前半に大きな人気を博し、現在も根強い人気があります。

今日は、そんな中島みゆきの2000年7月19日に発売された、通算37枚目のシングルである「地上の星」をどうぞ。
 

地上の星/中島みゆき

この曲の歌詞はこちら

「地上の星」は、「第56回NHK紅白歌合戦」の「スキウタ」アンケートにて、紅組7位にランクインしています。
また、オリコンによる累計売上枚数では、1994年に発売された「空と君のあいだに/ファイト!」に次ぐ、中島みゆき自身の2番目の売り上げとなっています。

チャート最高順位
週間1位(オリコン)
2001年度年間78位(オリコン)
2002年度年間67位(オリコン)
2003年度年間11位(オリコン)
2001年度年間51位(CDTV)
2002年度年間54位(CDTV)
2003年度年間9位(CDTV)

この曲は、NHKの「プロジェクトX~挑戦者たち~」の主題歌として作られたもので、同番組のエンディングテーマには、カップリング曲の「ヘッドライト・テールライト」が起用されています。

同番組の主要な視聴者である中高年を中心に、幅広い支持を得るに至り、2005年12月28日には、中島みゆき本人が「プロジェクトX」の最終回に出演。スタジオで「ヘッドライト・テールライト」を熱唱しました。


ちなみに、中島みゆきはデビュー前、吉田拓郎の追っかけをやっており、楽屋にも出入りするほどで、周囲では有名なファンでした。
その吉田拓郎は、中島みゆきの「ファイト!」を気に入っており、よくコンサートで歌っています。
中島みゆきは、吉田拓郎のことを「よた」と呼んでおり、2006年9月23日に行なわれた「吉田拓郎&かぐや姫コンサートinつま恋2006」にゲストとして出演し、提供曲「永遠の嘘をついてくれ」で共演。
この模様はNHK BShiで生放送され、同コンサートのDVD「Forever Young Concert in つま恋 2006」に収録されています。

「地上の星」雑学?-「地上の星」は、心臓マッサージの練習時に有効な曲

「地上の星」は、テンポが約100(BPM100)です。そのため、一次救命処置の講習会などで、心臓マッサージの際のリズムとりに有効な曲として紹介されることがあります。
これは、心臓マッサージを1分間に100回の速さで行なうことが望ましいとされているためです。

「Emotions(エモーションズ)/Mariah Carey」 - 全米シングルチャート3週連続1位を記録したヒット曲 いきなり超音波のような声がさく裂!

今日は、マライア・キャリーの「Emotions(エモーションズ)」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

マライア・キャリーは、アメリカ出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優です。

マライア・キャリーは、ベネズエラ系移民の父アルフレッド・ロイとアイルランド系アメリカ人の母パトリシアの間に3人兄弟の末っ子として、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれます。

ハイスクール卒業後、マンハッタンへ移り、ウェイトレスなどの仕事をしながらチャンスを待っていましたが、その後ブレンダ・K・スターのバックコーラスとなり、ブレンダに連れられて行ったパーティー会場でCBSレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国))のトミー・モトーラ社長へブレンダがデモテープを渡したことがきっかけとなり、1990年に「Vision Of Love(ビジョン・オブ・ラブ)」でデビューをします。

このシンデレラストーリーと、デビュー直前にNBAファイナルで「America the Beautiful※」を熱唱し話題になったことから大ブレイクします。

今日は、そんなマライア・キャリーの、1991年に発売されたアルバム「Emotions(エモーションズ)」から、タイトル曲である「Emotions」をどうぞ。
 
Emotions(エモーションズ)/Mariah Carey(マライア・キャリー)

この曲の歌詞はこちら
和訳はこちら

マライア・キャリーの、超音波のような声がさく裂していますね!おお!(゚o゚)
このアルバムは、デビューアルバム『マライア』から約1年3ヵ月振りに発売されたもので、プロデューサーには、当時注目を集めつつあったC+C ミュージック・ファクトリーと、前作に引き続きウォルター・アファナシェフが起用されています。

アルバム「Emotions(エモーションズ)」は、全米アルバムチャート最高4位、全世界で800万枚を記録、日本で100万枚の売上げを記録。
1stシングル「エモーションズ」は、全米シングルチャート3週連続1位を記録し、デビューから5曲連続での首位獲得は同チャートの史上最多記録となりました。

マライア・キャリーは、美貌とともにグラマラスな肢体を大胆に露出したセックスアピールが売りでしたが、年を重ねるにつれて、体型の変化が話題になることもしばしばです。
本人によれば、普段からよく食べるそうで、もともと太りやすい体質でなおかつ筋肉質らしく、太ったり痩せたりと変化が激しいのも彼女の特徴で、これもまた魅力のひとつです。

一時は、16歳の頃のジーンズがはけるくらいに、頑張ってダイエットを成功させたこともありましたが、最近はまた逆戻りつつあります。

ベースラインが「The Look Of Love」に酷似

ちなみに、この曲のベースラインですが、この曲の約9年前の1982年に発売されたABCの「The Look Of Love(ルック・オブ・ラブ)」に良く似ています。


The Look Of Love/ABC

これは、もしかして、もしかすると、もしかすれば…。(^^;
ナニ 三段活用 シテル ノ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)
まぁ、ありがちなパターンではありますが…。

※「America the Beautiful(アメリカ・ザ・ビューティフル)」は、今日、アメリカ国歌「The Star-Spangled Banner(星条旗)」に勝るとも劣らない第2の国歌として、多くのアメリカ国民によって愛されている曲。
この曲の作詞はキャサリン・リー・ベイツ(Katharine Lee Bates、1859 - 1929)、作曲はサミュエル・ウォード(Samuel A. Ward、1847 - 1903)。