Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「クリスマスキャロルの頃には/稲垣潤一」 - ドラマ「ホームワーク」の主題歌 170万枚を売り上げたヒット曲!

今日は、稲垣 潤一の「クリスマスキャロルの頃には」のご紹介です。

クリスマスキャロルの頃には 稲垣潤一 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

稲垣 潤一(いながき じゅんいち、本名同じ、1953年7月9日 -)は、宮城県仙台市宮城野区出身の歌手、ミュージシャンです。

稲垣 潤一は、中学生の時に本格的なバンド活動を始め、仙台にて「フェイセス」を結成します。
その後、仙台のライブハウスや横須賀や立川の米軍キャンプ等で演奏を続けていましたが、1982年(昭和57年)に「スーパーポップボーカル」というキャッチコピーで、「雨のリグレット」でデビューし、その後は、「246:3AM」「ドラマティック・レイン」「エスケイプ」「夏のクラクション」「ロング・バージョン (single version)」と、次々とヒットを飛ばしていきます。
 

「ドラマティック・レイン/稲垣 潤一」 - オリコン8位を記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、稲垣 潤一の「ドラマティック・レイン」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。稲垣 潤一(いながき じゅんいち、本名同じ、1953年7月9日 -)は、宮城県仙台市宮城野区出


「思い出のビーチクラブ」(1987年のカナダドライ・ジンジャーエールCMソング)、「セブンティ・カラーズ・ガール」(1989年初春のカネボウ化粧品CMソング)、「APRIL」(1986年三洋電機)などのCMソングもたくさんあります。

また、映画「アイ・ラヴ・ユー」の音楽監修も務め、主題歌・挿入歌を担当しています。

今日は、1992年10月28日に発売された通算27枚目のシングルである、「クリスマスキャロルの頃には」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら

歌詩の内容は、倦怠期の恋人同士が、クリスマスまで距離を置いて、お互いの今後を見つめ直そうといった内容を男性の視点から歌ったもので、TBS系テレビドラマ「ホームワーク」の主題歌として使われました。

The poem is written from a male point of view, about two lovers who are tired of each other and want to keep their distance until Christmas to reevaluate their future.
And this tune was used as the theme song for the TBS TV drama "Homework".

そしてこの曲は、最終的には「日本レコード協会」「オリコン」ともにミリオンセラーの売上を達成します。
日本レコード協会の調査では、約170万枚を売り上げたと発表されています。

しかしながら、稲垣 潤一自身は、この曲に関して、クリスマスの時期になると、スーパーでこの曲のインストゥメンタルが流れるため、恥ずかしくて買い物へ行けないと語っているということです。

しかし、稲垣 潤一は、宮城県出身だったんですね。おお!(゚o゚)
今こうして、再び聴いてみると、千昌夫ほどではありませんが、歌唱(発声)にだいぶ訛りが感じられ、何か納得してしまいました。(^^;

「虹色の湖/中村 晃子」 - 80万枚を売り上げたブレイク曲!

今日は、中村 晃子の「虹色の湖」のご紹介です。

虹色の湖 中村 晃子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

中村 晃子(なかむら あきこ、本名:同じ、1948年1月3日 -)は、千葉県習志野市(ちばけん ならしのし)出身の女優・歌手・声優です。
愛称はアッコ。

中村 晃子は、1963年、高校在学中に第2回ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選したことがきっかけで、松竹へ入社して映画界デビューを果たします。

そして、1965年に、「青い落葉」にて歌手デビュー。

1967年には、「虹色の(にじいろのみずうみ)」を発売。
中村 晃子は、この曲でブレイクし、当時グループサウンズ(GS)全盛のさなかにあって、女性ソロ・シンガーとして80万枚を売り上げるヒットとなります。
続く1968年には、「砂の十字架」もヒットを記録。

1968年には、「虹色の湖」で、第19回NHK紅白歌合戦に初出場。
また、シドニー・シェルダン原案・脚本・制作による海外ドラマ、「可愛い魔女ジニー※」の声優も担当します。

今日は、そんな中村 晃子の、1965年に発売された代表曲のひとつである「虹色の湖」をどうぞ。
 
虹色の湖/中村 晃子

この曲の歌詞はこちら

「虹色の湖」は、中村晃子の7枚目のシングルで、1967年当時音楽界を席巻していた「一人GS」風の編曲・演奏となっています。
この曲のオリジナル7インチシングル盤には、2種類のジャケットが存在します。
1つは、赤色の背景に中村晃子の右側の横顔を撮影したもので、もう一つは黒色の背景に足を組んだ中村晃子の全身が撮影されたものです。

また、この曲は、その後徳永英明や坂本冬美、天童よしみら計15名のアーティストによってカバーされています。


※「可愛い魔女ジニー」は、ベストセラー作家のシドニー・シェルダンが原案・脚本・制作した人気ドラマで、1965年から1970年にかけてアメリカで制作され、日本にもいち早く紹介されました。
主演はバーバラ・イーデン(Barbara Jean Huffman、1934年8月23日 - )で、当時は「奥様は魔女」と人気を二分した作品です。

「地平を駈ける獅子を見た/松崎しげる」 - 埼玉西武ライオンズ球団歌

今日は、松崎しげるの「地平を駈ける獅子を見た」のご紹介です。

地平を駈ける獅子を見た 松崎しげる ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、東京都江戸川区出身の歌手、俳優、タレントで、通称は「マツ」です。

松崎しげるは、1976年にスペインのマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に『愛の微笑』で出場し、見事最優秀歌唱賞と第2位に輝きます。
その翌年、改題されCMソングとして発表された「愛のメモリー」が大ヒット。同曲は数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たします。
 

「愛のメモリー/松崎しげる」 - 最優秀歌唱賞とオリコン週間2位を記録したヒット曲! 制作秘話~曲制作からヒットまで~も紹介|Super源さんの音楽ブログ


今日は、松崎しげるの「愛のメモリー」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。 松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、


今日は、そんな松崎しげるの、1979年3月25日に発売された、日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する埼玉西武ライオンズの球団歌であるシングル曲、「地平を駈ける獅子を見た」をどうぞ。
 
地平を駈ける獅子を見た/松崎しげる

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1979年、西武ライオンズ発足の際に発表されました。
福岡県から埼玉県にチームが移転し、心機一転を図る意味もあって、阿久悠・小林亜星といった豪華な顔ぶれによって曲が作られ、流行歌手である松崎しげるという当時としては異例のボーカル起用が行なわれました。

歌詞中には「ミラクル元年」という一節が織りこまれ、また、印象的に表現される空の青、風の白、地の緑、そして炎の赤は、西武ライオンズのチームカラーを表わしています。

そして、ライオンズが優勝した際には、西武百貨店や西友など旧セゾングループ各社による優勝記念セールでヘビーローテーションでかけられるのが恒例となっており、毎年のように優勝していた黄金期(1982年~1994年)の時期には頻繁に流されていました。

現在は、西武ドームでの試合開始前等に場内外で流される他、5回の攻撃開始時や、ライオンズの得点時、また9回裏の攻撃時に、ビクトリーフラッグを振りながら合唱するなどして使用されています。


松崎しげるは、当時「噂の刑事トミーとマツ」などのドラマにも出演するほか、「クイズダービー」では「クイズの帝王」を自称し、ゲスト解答者として度々出演するなど、お茶の間でも人気を獲得しました。

松崎しげるのバックバンドは、松崎の「松」にちなんで、「パイントリー・ファミリー・バンド」という名称です(パイントリー(pine tree)というのは、『松の木』の英訳)。

近年では、年間200本近くのディナーショーを開催して、「ディナーショーキング」の異名を取ったり、「タモリ倶楽部」などで夜の帝王ぶりを見せたりと、タフな一面が話題となっています。

また、松崎しげるは、日本で初めて生理用品のCMに出演した男性でもあります(他にも桑田佳祐、笑福亭鶴瓶や安全地帯などがいますが、ごくわずか)。

ももいろクローバーZのコンサートでは、「南国ピーナッツ」の変名で登場し、「愛のメモリー」の替え歌で、メンバーも知らされていない重大告知を行うことが恒例となっています。

また、一部のファンの間では「麩菓子(ふがし)の人」や「松崎・麩菓・しげる」など、麩菓子にまつわる愛称で呼ばれています。